2017.02.21【府中郷土の森(梅まつり)】報告 保倉L | 東京ハイキング協会

2017.02.21【府中郷土の森(梅まつり)】報告 保倉L 




府中郷土の森の梅(白加賀)

実施日:平成29年02月21日(火)  晴れ  ウォーキング①

リーダー:保倉 惠美子
サブリーダー:岩間 英之(投稿者)  金子 敬
参加リーダー:小泉 純子
参加者:45名(男性7名 女性38名)
コース:武蔵野線 府中本町駅 10:00下車 歩行開始10:10→大國魂神社10:20→武蔵国府跡10:30→高安寺11:00→新田義貞公之像11:30→下河原緑道11:45→府中郷土の森12:10(昼食&園内散策12:10~14:10)→観光物産館14:15→矢崎町防災公園(解散)14:50→府中本町駅14:55
歩程:2.5時間
行動時間:4時間40分

10:05 府中本町駅で本日のコース説明


10:20 大國魂神社



水神社(創立年代不明。社殿は嘉永2年(1849)のもの。かつては祠が御供所(現休憩所)の東側に鎮座し、本殿と同じく北を向いていた。昭和58年に現在の場所に移設され祠の下に岩の台座が設けられた。その際に当社境外末社滝神社より御霊分けをされた。大國魂神社奉賛会記念事業の一つとして作られた深井戸を利用して地下水を竜頭口より流している。御水取りに来る参拝者で賑わう。)

君が代に出てくるさざれ石





大國魂神社のケヤキ(府中名木百選)

10:30 武蔵国府跡大化の改新によって、武蔵国(現在の埼玉県・東京都・神奈川県の一部)がおかれ、その政治の中心地「国府」は現在の府中市に置かれました。国府の政務機関である、”国衙“(こくが)の跡が30年余りに及ぶ発掘調査の結果、大國魂神社の境内および、その東側一帯に存在していたことが確実となり、さらに、その中枢施設”国庁”とみられる大型建物跡が発見されました。 この建物跡は最重要施設として、史跡に指定されています。





江戸時代、幕府から御法度(ごはっと)、掟書(おきてがき)、犯罪人の罪状などを一般庶民に通達する方法として、板に書き示して街道沿いの宿場や橋のたもと、村の名主宅前など、人目に付きやすい場所に掲げたものを「高札」といい、これを掲げた場所を「高札場」といいました。これに似たものはすでに室町時代からありましたが、通達の体制や場所の整備が行われたのは江戸時代に入ってからで、幕府の威光を示すためにも、盛んに利用されました。府中の高札場は大国魂神社御旅所の柵内に現在も残っています。ここは当時、甲州街道と北上する川越街道、南下する相州街道(現在の府中街道)が交差する交通の要でした。



番場宿は、かつては東の新宿と西の本宿との3町でもって甲州街道の府中宿を構成していました。その東西は2kmほどもあるでしょうか。天保3年(1843年)の時点では人口3000人、旅館29軒、本陣1軒、脇本陣2軒、商家142軒となっており、当時としてはかなり大きな宿場町だったようです。

11:00 高安寺(室町幕府の将軍足利尊氏(1305-1358)が、元々この地にあった市川山見性寺を再興し、龍門山高安護国禅寺と号したのがはじまりとされ、尊氏が改名する前の高氏から名づけられたとされています。それ以前の寺は平将門を討ち取った功績で武蔵野守となった藤原秀郷の館跡であったと伝えられています。尊氏は国と人々の平和を願って全国に安国寺や利生塔を建てました。武蔵国の安国寺が高安寺です。しかし鎌倉時代末期から南北朝の戦乱の時代には、崖の上にあったためこの寺はしばしば合戦の本陣となりました。曹洞宗。現在の本堂は享和3年(1803)、山門は明治5年(1872)、鐘楼は安政3年(1856)の建立で、東京都選定歴史的建造物に指定されています。)

高安寺山門(1872年(明治5年)の建立(東京都選定歴史的建造物)。
初層は左右からも抜けられるという珍しい造り。
正面に仁王像、背後に地蔵尊と奪衣婆が安置され、木鼻の彫刻には上半身が人で下半身が鳥という仏教における想像上の生物「迦陵頻迦」(かりょうびんが・迦陵頻伽)が施されている。迦陵頻迦は、身体は一つで頭が二つに分かれているという共命鳥(ぐみょうちょう)とともに極楽浄土に住むという。

奪衣婆(だつえば)は、三途の川(葬頭河)の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼。

地蔵尊



高安寺のクスノキ(府中名木百選)



弁慶硯の井戸(1185年(元暦2年)、平家を壇ノ浦に滅ぼし、平宗盛を護送して鎌倉に凱旋しようとした源義経は、兄頼朝の怒りを買い鎌倉に入ることはできなかった。
許しを得られないまま京都へ帰る途中で立ち寄ったのが見性寺(高安寺の前身)。
義経は、弁慶らと赦免祈願のため大般若経を書写したとのだという。
その折に弁慶が清水を汲み取ったのが境内に残されている古井戸だと伝えられている。

11:30 新田義貞公之像(上州新田生品神社で挙兵した義貞の討幕軍は、勢力を強めながら南進、小手指河原(現所沢市)で鎌倉軍を撃破。ここ分倍河原で幕府軍と合戦。一度は敗走するも相模の三浦氏などが加わり、幕府軍を分倍河原で急襲、これを撃破。勢いに乗じ多摩川を突破した討幕軍は、一気に鎌倉に攻め込み、幕府を滅亡させた。)

11:45 下河原緑道を歩く

12:10~14:10 府中郷土の森(昼食&園内散策)



風が強かったので無料休憩所の中で昼食

梅三昧









府中郷土の森博物館内のくらやみ祭に使用する万灯(本物ではないそうです)5月5日(祝日)を中心に、大國魂神社の例大祭「くらやみ祭」が行われます。都指定無形民俗文化財「武蔵府中くらやみ祭」として指定されたこの祭りには、みこしや大太鼓、山車の巡行などたくさんの見所があります。











14:15 観光物産館
14:50 矢崎町防災公園(解散)府中本町駅へ向かう

参加者の皆様お疲れ様でした。強風でしたが、満開の梅が素晴らしかったですね。
早春のひと時を皆さまと一緒に楽しく観梅できたことを感謝いたします。
ありがとうございました。
保倉 惠美子

 

 

 

 

 


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