2025.05.05【衣張山~披露山】報告 松木 千恵子
2025年5月5日(祝・月) 天気:晴れ レベル「3」:一般向
◇担 当 L :松木 千恵子
◇協 力 者 :桜井 敏子、鈴木 榮男(投稿)、佐藤 清
◇参 加 L :中嶋 要一、加藤 正彦、山川 美恵子、須賀 光夫
◇参 加 者 :57名(女性:37名、男性:20名 うち1名 非会員)
◇所要時間 :5時間(食事、休憩等含む)
◇歩行距離 :11.5km
<コース>
JR横須賀線鎌倉駅9:45→10:04岐れ路交差点→田楽辻子の道→10:20報国寺10:30→平成巡礼路→衣張山登山口10:53→11:01衣張山11:12→11:31こども自然ふれあいの森(昼食)12:00→名越切通し分岐12:44→12:50まんだら堂13:04→名越切通し13:06→13:36披露山14:04→浪子不動14:17→14:45JR逗子駅
<田楽辻子のみち>
<田楽辻子のみちの由来>
鎌倉時代に呼ばれていた小路で、路名の由来は、路沿いの釈迦堂前に田楽師が住んでいたためと伝える。辻子は通り抜けのできる小径のことで、十字路を辻という。「吾妻鑑」などの田楽にまつわる記事に基づいて現在の道筋をたどると筋替橋を起点として宝戒寺裏から滑川を渉り、大御堂ケ谷・釈迦堂ケ谷の入口をへて宅間ケ谷に出て六浦と合流する小径と考えられる。説明板より
<平成巡礼道>
衣張山ハイキングコースは「平成巡礼道」とも呼ばれ、東側に並行して南北に走る「巡礼古道」とは浄明寺緑地で合流します。
<衣張山>
衣張山山頂と五輪塔
衣張山の山名の由来は『新編相模国風土記稿』によれば、「衣掛山といい、昔ここに庵があり、尼僧が松の木へ衣を掛け晒した」という説と、夏の日に源頼朝が妻の北条政子の望みで、この山に白衣を張って、雪の降った景色を見せたという説があるが、定かではない。
<大切岸>
お猿畠の大切岸(おさるばたけのおおきりぎし)は、神奈川県鎌倉市と逗子市の境をなす丘陵尾根の斜面に、約800メートルに渡って人工的に造られた断崖地形である。国の史跡・名越切通の一部。中世鎌倉を城郭都市・鎌倉城と見なし、その外縁を守る切岸(斜面を切り落として外敵の侵入を防ぐ防御施設)だったとする説もあるが、2002年(平成14年)に行われた発掘調査で、土木・建築用石材の石切場(採石場)であることが判明した。
<浪子不動>
現在の堂宇は、葉山町にあった「慶増院」から移設したものである。慶増院は廃寺状態であったが、葉山に別荘を持っていた高橋是清・犬養毅の協力により再興され、その際に「高橋」と「犬養」の名を取って「高養寺」に改称した。そして浪子不動と統合したものである。
<リーダーコメント>
連休後半、やはり鎌倉駅は観光客が大勢でした。
人混みを避けて裏道を歩き、岐れ路交差点から田楽辻子の路に入る。
予定のコースに入れてなかった竹寺で有名な報国寺による。山道に入るとトイレが無く参拝を兼ねてトイレタイムです。
平成巡礼道から杉林をひと登りすると、相模湾と鎌倉市街が望める展望の良い衣張山の山頂です。尾根道を降り浅間山 鎌倉市子ども自然ふれあいの森へ 芝生の広場で昼食にする。
中世の石切の跡の城壁のような形で掘り残された大切岸を通過して 逗子市の文化財保護に指定され期間限定公開のまんだら堂やぐら群を見学する。
名越の切通から披露山に向かう、住宅街30分程 下り急階段を登ると展望台のある披露山です。江ノ島や逗子マリナーが間近に望めます。浪子ハイキングコースで逗子の海岸に降る。キラキラと光る海にウィンドサーフィンの帆は色とりどりで華やかな海岸です。
鎌倉と三浦半島方面を結ぶ古の陸路、史跡を巡り楽しい山行でした。参加リーダー 協力者参加会員の皆様に感謝致します。有難うございました。 松木 千恵子