2023.02.15【鎌倉歩きNo.4 藤沢∼江ノ島】報告 大倉昌子 | 東京ハイキング協会

2023.02.15【鎌倉歩きNo.4 藤沢∼江ノ島】報告 大倉昌子




常立寺の『六地蔵』と『枝垂れ梅』


枝垂れ梅

2023年2月15日(水)  天気:曇のち晴れ レベル3⃣ :一般向き
◇担 当  L :大倉昌子
◇参 加  L : 中嶋要一、
◇協 力 者 :佐野妙子、池田正義
◇投 稿 者 :鈴木榮男
◇参 加 者 :36名(女性26名、男性10名)
◇所要時間 :4時間10分(休憩,食事等含む)
◇歩行距離 :約8km

コース
JR藤沢駅10:05→10:37新林公園(古民家等見学)→10:53ハイキングコース→新林公園(昼食)11:50~12:25→岩屋不動尊13:06泉蔵寺13:33→諏訪神社上社13:45→蜜蔵寺13:53→本蓮寺14:00→常立寺14:15(解散)

コース軌跡

JR藤沢駅くをスタート地点、常立寺で解散。モノレール「湘南江ノ島駅」、江ノ電{江ノ島駅」、小田急線「片瀬江ノ島駅」で帰宅する人、江の島観光に行く人に分れた。


リーダー挨拶。コース概要及び参加リーダー、、協力者紹介。


新林公園
山林に囲まれた新林公園は、希少な植物が自生し、ホタルも生息するなど、緑と自然が多く残った公園です。 園内には、全長約1.5kmの散策路(ハイキングコース)、遊具のある冒険広場、湧き水でできた川名大池、藤沢市の指定重要文化財でもある古民家長屋門などがあり、隣接する新林小学校を含めた新林公園周辺は、藤沢市の指定緊急避難場所(大規模火災)にも指定されています。 ハイキングコースではヤマユリやスミレなどの自生植物、川名大池ではカワセミやアオサギなどの野鳥、湿性植物区ではハナショウブやミソハギなどの湿生植物を季節により見ることができます。 また、藤沢市のフジの拠点としても位置づけられ、毎年4月下旬頃には多くのフジが開花します。 園内の清掃やハイキングコースの点検・整備、花壇管理などの作業は、公園美化推進団体「新林公園みどりの会」の方々が行っています。
池のほとりには移築保存された江戸時代の古民家が静かに佇み、茶会にも利用されています。この公園は自然の営みを小さな谷戸のなかで気軽に観察することができる自然の宝庫です。

新林公園案内図

藤沢市ホームページより


ハイキングマップ。古民家に置いてありました。このコースを歩きました。

長屋門
門の両脇に長屋(部屋)を備えた長屋門は、日本の伝統的な門形式のひとつ。その意匠や構造は、家の格式などによって決められていました。これは藤沢市内の福原家(江戸時代の名主)から移築したもので、建築年代は江戸時代後期。


古民家>(旧小池家)
小池家は、新編風土記に表され、江戸時代には名主をつとめた柄沢の旧家です。移築された建物は天保12年(1841年)に棟上げされたもので、この年は水野忠邦による「天保の改革」が始まった年でもあります。桁行18.7m、梁間10.9m、建築面積52坪の寄棟造、茅葺屋根の風格ある建物です。

 
囲炉裏                              脱穀機

 
竈(かまど)                          井戸


古民家の北側(裏側)


梅が満開でした。


古民家見学後は、公園内のハイキングコース(山道)を周回。山道登リ口

 
「みどりの会」の人とすれ違う。

 整備された階段を登る。

 
獣落し(ししおとし
この穴は、昔、猪や狸などの小動物を捕らえるために掘られたもので上部に笹の葉などをかぶせ、落とし穴として利用したものです。明治時代に掘られていたようで、深さは大人の背丈より深かったようです。

 
登り


休憩


中間地点


見晴台へ


左に江ノ島が見える。相模湾の右に・・・・


手摺のある木橋


登り


鉄塔

 
下り                              大きなタイヤ

 
古民家のある広場にて昼食


境川に架かるガス管の上にカワウが休んでいた。

岩屋不動尊
弘仁5年(814)、弘法大師がここに岩窟を掘り修行をしたといわれています。その後、快祐上人が石籠山救法教寺を開き、延亨元年(1744)、ここで即身成仏したと伝えられています。岩窟内は6畳程の広さで火焔を背負った不動尊が祀られています。毎年1月28日の初不動には、多くの参拝客で賑わいます

 
お地蔵さん


不動尊(不動明王)


燈籠


岩屋不動尊で集合写真①


岩屋不動尊で集合写真➁


江の島弁財天道


江の島弁財天道について


庚申塔


上記、庚申塔について

 
泉蔵寺
鎌倉時代初期の建立と伝えられているが、江戸時代の火災によって詳しい文献は焼失してしまいました。享和年間(1801~1804)法印隆誉が再建しました。本堂前には、四国八十八ヶ所霊場の砂を埋めた霊場があり、修行弘法大師像が中央に置かれています。本堂には、一遍上人ゆかりの片瀬浜地蔵堂の本尊だった地蔵菩薩像が祀られています。


諏訪神社上社
創建は養老7年(723)。信濃国諏訪大社からの御分霊を上、下社に祀ったことから始まりました。後に下社は宮畑から鯨骨に、上社は諏訪ケ谷から浪合に遷されました。元弘3年(1333)、新田義貞が鎌倉攻めをした時に焼失してしまいましたが、正平2年(1347)に社殿が再建されました。その後も改築され、現在も片瀬地区の氏神様として尊ばれています。


諏訪神社上社由緒


諏訪神社


神社から雪をかぶった丹沢の山々が見えました。

 
密蔵寺
鎌倉時代末期に有弁僧正によって開山されました。何度かの火災にあいましたが、江戸時代に良忍上人によって再建されました。境内には、春日大社の御神木とされるナギが植えられ、江戸時代まで神社と寺院が一緒に存在していたことを示しています。樹齢約300年のエノキや鎌倉彫に使われるカツラなどもみられます。


石像と六地蔵


なんだこれは


小暮實千代」ゆかりの「愛染かつら」の木


本蓮寺
推古天皇3年(595)、義玄和尚により開山されたと伝えられます。元暦元年(1184)11月、源頼朝により再建されました。「頼朝公駒止の松」と伝えられる切り株が現存しています。文永8年(1271)、龍の口での法難を逃れた際に、ここで休息をしたことから、日蓮聖人像が祀られています。もとは密教寺院だったが、嘉元年間(1303~1306)の頃、日秀が日蓮宗に改宗しました。慶安2年(1649)に朱印地七石を賜りました。

 
鐘楼の白梅                          鐘楼の紅梅


本堂


紅梅


常立寺
龍の口刑場跡地と伝えられていて刑場にて処刑になった人々を弔っています。もとは真言宗の寺でしたが、日豪上人により日蓮宗に改宗しました。境内の「元使塚」は建治元年(1275)に斬首となった、蒙古からの使者、杜世忠以下5人の供養塔です。2~3月にかけて、たくさんの枝垂れ梅が見事に咲き誇ります。しだれ梅


しだれ梅

リーダーコメント
寒い一日、新林公園のハイキングコースをしっかり歩き、片瀬の史跡を巡って歩きました、梅が見頃で良かったです。大倉昌子


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