東京ハイキング協会 » 2018.01.06【鶴見七福神】松木L報告

2018.01.06【鶴見七福神】松木L報告


鶴見七福神
平成30年1月6日(土)天気晴
リーダー:松木千恵子
協力L:渡邊幸一
協力者:石田さとみ・桜井敏子
参加L:大倉昌子・小林妙子・佐野満喜子・柴崎実・佐野俊一郎投稿
参加者:26名 男性8名 女性18名
集合:京浜急行鶴見市場駅前9時50分
コース:鶴見市場前➝横浜熊野神社(福禄寿)➝鶴見神社(寿老人)➝大本山總持寺(大黒天)➝東福寺(毘沙門天)➝正泉寺(恵比寿神)➝安養寺(福壽弁財天)➝松陰寺(布袋尊)➝東高校バス停 歩程4時間
寺社のご由緒は鶴見七福神を参照して下さい、二回クリックすれば読む事が出来ます。
御朱印

寺社のご由緒

七福神の信仰は、室町時代の末期の頃に始まり、当時の庶民性に合致して民間信仰の形となって育てられてきました。特に農民、漁民の信仰として受け継がれ、今、現代も生き続けています。「七難即滅、七福即生」、七福神を参拝すると、七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かると言われています。
京急鶴見市場駅挨拶10:00                  横浜熊野神社(福禄寿)10:06

福禄寿は、名前は、幸福の福、身分をあらわす禄、寿命を表わす寿の三文字からなり、中国、道教の長寿神。南極老人星の化身であり中国の村や町に住み、人々の信仰を集めたといわれる仙人である。長い頭、長い顎鬚、大きな耳たぶをもち年齢 千歳という。長寿、幸福の徳を持ち、鶴と亀を連れて、左手に宝珠、右手に巻物を括り付けた杖をもつ姿が特徴である。招徳人望の神様として信仰されている。
旧東海道を下る10:11                             市場一里塚10:16

旧東海道の一里塚は江戸日本橋から京都三条大橋まで125里で、慶長9年街道の付属施設として1里ごとに造られた。市場一里塚 慶長9年(1694)徳川幕府は、江戸から京都までの街道を整備し、あわせて宿場を設け、交通の円滑を図りました。 里程の目標と人馬の休息のための目安として、江戸日本橋から一里(約4km)毎に街道の両側に五間四方(9m四方)の塚を 築造し、塚の上には榎を植えた。 ここは江戸より五里目の塚に当たり、市内で最初の一里塚です。明治9年(1877)地租改正にあたり払い下げられ、左側 の塚が現存しています。昭和初期まで塚の上には榎の大木が繁茂していた。
昭和8年(1933)6月「武州橘樹郡市場村一里塚」(添田担書)の碑が建立されました。平成元年(1989)横浜市地域文化財として登録された
一里塚の側に庚申塔                           旧東海道を歩くと稲荷神社に会う

庚申堂(鶴見区市場下町9-21)の庚申塔
小さなお堂にこの青面金剛像一基が安置されている。駒型の合掌六臂で右足を少し上げている変わったスタイルである。下部はトロケてしまって二鶏、邪鬼、三猿があったのだろうが、今は形が残っていない。宝暦四甲戌天十月庚申銘。
鶴見川大橋を渡る                               鶴見川上流

鶴見川

鶴見川西岸に渡る                              西岸に建つ関門旧跡10:28

関門旧跡の標識                           旧東海道を右にJR線側に富士塚10:35

鶴見神社(寿老人)10:37                           拝殿

寿老人は、福禄寿と同じく星の化身で、にこやかな微笑みをたたえ、手には巻物を括り付けた杖、そして団扇や桃などを持ち、鹿を従えた姿が一般的に知られている。団扇は難を払い、桃は長寿のしるしで、鹿もまた長寿の象徴である。長寿延命、富貴長寿の神として信仰されている。
先ほどの富士塚は社殿裏                           京急鶴見駅を南に下る
總持寺前のJR跨線橋                              總持寺11:11

三松門                                       山門

向唐門前広場は出初式                            山松閣前を香積台へ

香積台に祀られた大黒尊天11:21                      大祖堂に参詣

大黒天は、大自在天の化身ともいわれ、大国主命と神仏習合したものである。一度仏となったが、人々に福徳を授けるために再びこの世に現れたという。大地を掌握する神様(農業)でもある。大きな袋を背負い、打出小槌をもち、頭巾をかぶられた姿が一般によく知られていて財宝、福徳開運の神様として信仰されている。
放光堂前・仏殿前昼食11:30~12:15                            仏殿前に中雀門

中雀門前に向唐門                             穴熊稲荷を南に上がると南にベーブリッジ

南に下ると東福寺(毘沙門天)12:29

毘沙門天は、四天王の一仏で、別名「多聞天」といい、七福神の中で、唯一の武将の姿をしていて、右手に宝棒、左手に宝塔、足の下に邪鬼天の邪鬼を踏みつけている。七福神では、融通招福の神として信仰されている。
南西に花月園競輪場跡造成中                    再度東海道線踏切を南に渡る


京急花月園駅12:47                          第一京浜国道 鶴見線国道駅12:57

国道駅から右に生麦魚河岸通を南に                        生麦魚河岸通り

生麦魚河岸通りを左に入ると                              正泉寺(恵比寿神)13:06

恵比寿天は七福神中で唯一の日本の神様。いざなみ、いざなぎの二神の第三子といわれ、満三歳になっても歩かなかったため、船に乗せられ捨てられてしまい、やがて漂着した浜の人々の手によって手厚く祀れれたのが、信仰のはじまりと伝えられている。左手に鯛をかかえ右手に釣竿を持った親しみ深いお姿の、漁業の神で、特に商売繁昌の神様としても信仰が厚い。
大きな鯛を背中に担ぐ恵比寿神                           生麦魚河岸通りに戻ると稲荷神社

生麦事件の現場13:17                             左に生麦JCT

神明社

第一京浜国道                                 京急生麦駅踏切13:29

安養寺(福壽弁財天)13:33

弁財天は、七福神の中で、唯一の女神で、元はインド河(水)の神であったが、やがて音楽の神、言語の神となり日本に伝わった当初は、弁才天と呼ばれた。その後、財宝・芸術に関係深い吉祥天の性格が吸収され弁財天といわれるようになり、財宝を授けてくださる神へとなったものである。知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があるといわれている。
岸谷二丁目の庚申塔13:53                         区境高台を北に駒形天満宮14:06

駒形天満宮の創建年代は不詳、享保14年銘(1729)の板があったといいます。元文5年(1704)に創建したという駒形明神社を昭和12年に合祀、駒形天満宮と称した
西寺尾・東寺尾の境界尾根を北西に向うと
松陰寺(布袋尊)14:13


布袋尊は、弥勒菩薩の化身といわれ、いつも笑顔を絶やさず人々に接していた人で、大きな袋には宝物がいっぱい入っていて、信仰の厚い人に与えられたという。笑門来福、夫婦円満、子宝の神として信仰が厚い。
リーダコメント: 穏やかな冬晴れの中 我が街の七福神巡りにご参加ありがとうございました。今年も元気に楽しく歩きましょう。
解散14:25 帰りは東高校バス停からはJR鶴見駅行、東横線菊名駅行、新横浜駅行きがあります。


この記事にコメントする


Facebookページはじめました。よろしければ『いいね』をお願いします。

東ハイホームページを登録(無料)

メールアドレスを記入して登録すれば、更新をメールで受信できます。

113人の購読者に加わりましょう

東ハイ会員web

カレンダー

2018年4月
« 3月    
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30  

アーカイブ

ポイントアフィリエイト

Powered by WordPress, 12345678, WP Theme designed by WSC Project. ログイン