2016.03.13 【 加治丘陵】報告 下田恵美子L | 東京ハイキング協会

2016.03.13 【 加治丘陵】報告 下田恵美子L



 

平成28年3月13日(日)

山行 加治丘陵

リーダー:下田恵美子

協力者:島田文代 ;堀江敬子

協力L: 村上健一;加世田;保倉;渡辺;辰巳;有里;小林(投稿者)
参加者 58名 (男性24名;女性34名)

天候 曇り   歩程 4時間 ;行動 5時間

コースタイム
西武線元加治駅10:05-:20 →円照寺10:24-:29→岩沢運動公園桜咲く10:35 →対岸に阿須運動公園  →阿岩橋入間川を渡る10:46 →R105とR218阿須交差点10:50 →八高線沿い車道10:57 →右に赤城神社あり →入間メモリアルパーク(-11:40) →八高線踏切11:47  →加治丘陵入口11:50 →保全第6号急降下地11:58  → 窪地休憩昼食12:10-:35 →金子神社分岐12:57  →トラスト保全第6号地唐沢流域樹林地についての看板 → 渡渉点13:20 → 八幡神社13:37  →金子神社分岐13:51 →  桜山道標看板13:59 → 愛宕神社14:09  → 桜山展望台公園14:10-:20 → 武蔵野音大校門前 → 西武線仏子駅15:05-:11(池袋方面)

 地図:

加治丘陵トラスト第6号地

 

歩行距離 : 約 19 Km    時間 : 約 4 時間 05分   27,060歩

写真アルバム  加治丘陵 トラスト第6号地 (旧鎌倉街道)下田恵美子L 

 

保全第6号地・加治丘陵・唐沢流域樹林地について
「昔のままの道が残る鎌倉街道」より 抜粋
  加治丘陵は、秩父山地へと続く広大な丘陵で、オオタカをはじめ貴重な動植物が生育するなど、多様な生物の生息を支える豊かな自然環境が保たれています。
本地域は、加治丘陵の西部に位置する唐沢沿いの樹林地で、深山幽谷を思わせる景観を有しています。  1 所在地 入間市大字寺竹
2 面積 111,397平方メートル
3 自然環境の概要  植生は、クリ、コナラを主とする落葉広葉樹林とモミ林やスギ・ヒノキ林等の針葉樹林がモザイク状に分布しています。
この多彩な森林環境は、生物の多様性を生み、唐沢流域樹林地は加治丘陵の中でも動植物の種類が豊富な地域となっています。貴重種も多く、ゲンジボタルの生息地でもあります。
4 取得経費 約4億9900万円
5 取得年度 平成14、15年度
加治丘陵は埼玉県の南部の入間市と飯能市及び東京都青梅市に渡る東西に長い丘陵です。秩父山地の東裾が関東平野に伸びた丘陵地で、丘陵の北側は入間川が流れ、南側は霞川が西から東へと流れています。また丘陵の南側一帯は有名な狭山茶の茶どころとなっています
加治丘陵は東西約7~6キロメートルで、南北約1.5キロメートルほどで、標高は250~140メートルということです。この丘陵は現在も自然が多く残されていて、雑木林の中に貴重な動植物が生育しています。
加治丘陵の豊かな自然は、森林浴、植物観察、バードウオッチング等と、都会のコンクリートの中の生活からは味わえない自然と接することができるのです。ここの丘陵にはオオタカも生育していることで知れれているようです。また春の植物として、マキノスミレ、コミヤマスミレ、その他多くのスミレ類が見られるそうです。それから山菜なども多いものと思われます。
丘陵には美しいモミやスギ、ヒノキの他、クリ、コナラなどの落葉広葉樹も多く分布しています。
道は鎌倉道の雰囲気が伝わってくる素晴らしい尾根道です。山道というよりは古道の面影が感じられます、気持ちよく歩けます。
尾根の西側に回り込み、道幅もやや細くなりますが、感じの良い切通しが続きます。この辺りは丘陵もかなり奥深いところで、現代的な人工物は見られず、中世の時代と全く同じ景観かもしれません。時折、遠くを走る車の音が微かに聞こえるだけで実に静かです。まるで自分自身が自然の中に溶け込んでいくようです
加治丘陵について調べてみると、この尾根の東側の地帯は、桜山展望台やサイクリングコースなどもあり、入間市の観光みどころとして紹介されているのですが、ここの尾根道は観光マップなどにも途中迄しか載っていなくて、この周辺は何も紹介されていないことに気が付きました。この尾根道は自然と触れることの出来る穴場かも知れません。そして記憶から忘れられている鎌倉街道なのです
この尾根道の西側の、沢の辺り一帯が「さいたま緑のトラスト」の新たな保全地として指定されました。「さいたま緑のトラスト」とは、県民が主体となり、寄付を募って基金を作り、その資金を元に土地や建物をなど取得したりして、県内の自然や歴史的環境を守っていこうというものです。入間市寺竹の「加治丘陵・唐沢流域樹林地」がその対象地域です。そこでは、「豊かな自然環境が保たれ、深山幽谷を思わせる景観がある。」と紹介されています。
加治丘陵の鎌倉街道を知った切っ掛けは芳賀善次郎氏の『武蔵野の万葉を歩く』という本でした。飯能市の入間川の岸にある阿須運動公園には万葉広場というのがあります。ここに阿須という地名が載る万葉二首の碑があります。阿須(阿受)とは崩れた崖をいみし、ここ飯能市阿須には入間川の浸食でできた加治丘陵の北側の崖が存在します。万葉広場から南側の丘陵は野球場南と駿河台大学の南が崖になっていうのが見渡せます
飯能市阿須は地名がその崖があることからつけられたと考えられます。
十四 巻3539
あずの上に駒を繋ぎて危ほかど 人妻児ろを息にわがする
十四 巻3541
あず辺から駒の行こ如す危はとも 人妻児ろをまゆかせらふも
上の一首目
崩れそうな崖の上に繋がれている馬が危ないように、私は人妻である、あなたを恋してしまった。もし止めようとすれば、ただちに命を失うほかはない。
二首目は
崖っぷちを行く馬のように危ないことだけれど、人妻であるあなたに目配せして、誘ってみよう。
阿須の二首は東歌の中の国名の明らかでない未勘国歌という首で、直ちに阿須が歌のふる里というわけではないそうです。芳賀善次郎氏の本によれば、他にも歌の候補地があり、東京都稲城市にやはり多摩川によって削られた崖があり、そこもアズの地と考えられているようです。そして奇遇にも、その稲城市の地にも鎌倉街道伝承の道が通っています。
加治丘陵を越えてきた古道が入間川を渡ったとされる、渡し場付近にある阿岩橋です
阿岩橋から南を振り返り、駿河台大学の校舎の奥に古道が越えてきた加治丘陵が見渡せます。
ここ飯能市の阿須は万葉の歌が残されるような古代から知られたところだったのでしょうか。
この橋の上から見られる入間川や加治丘陵、更には秩父の山並みは本当に美しいところです。古代の人が思わず歌を作ってみたくなったとしても不思議ではありません
『新編武蔵風土記稿』高麗郡阿須村の項に「村内に西上州より相州へ通ふ路あり、北は岩澤村より南の方寺竹村へ達す、道幅一間余り古の鎌倉道なりと云、又秩父郡より相州への一路あり、乾の方川寺村より来り、当村にて鎌倉道と会す」とあります。この鎌倉道は紛れもない寺竹村の瀧山古海道と同じものと思われます。また、岩澤村の項に「村の西寄に上州より相州への往還一条係れり、北は双柳村より、南は阿須村に達す、鎌倉古道なりと云」とあります。
阿岩橋を北に渡ったところの切通し道で、この道を北へ行けば岩澤に向かいます。切通し右手には説明版があります。大山街道と渡船と題し、橋が架けられる以前は渡船場があり、ここから川を渡り神奈川県の大山阿夫利神社へと道が通じていたといいます。その道は鎌倉街道の裏街道で、この辺りでは鎌倉街道というより、大山街道のほうがなじみが深く、道しるべなどにも、たいてい大山街道となっているという内容が書かれていました。「昔のままの道が残る鎌倉街道」より
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-eb-7d/tamasaka6121/folder/1203644/83/38152883/img_0?1409879215

 

 

 

これまでのコメント

  1. 保倉 惠美子 :

    下田リーダーの最後の山行に参加させていただきました。58名とい大勢の会員さんの参加!下田リーダーの人気はさすがですね。今までお疲れさまでした。これからは村上リーダーの良き協力者として活躍されることを祈ります。
    Hokura

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