2026.04.11【津久井城山】報告 中嶋 要一

飯綱神社より津久井城山に向かう。
赤い鳥居と石段が印象的で、神社の神聖さが重なり、独特の雰囲気になる。
2026年4月11(土) 天気:晴れ レベル[2]:一般向弱
◆ 担 当 L :中嶋 要一
◆ 参 加 L :直江 忠彦、 松木 千恵子、矢澤 省三、小泉 純子
◆ 協 力 者 :鈴木 榮男(投稿)、佐藤 清
◆ 現地協力者 :桜井 敏子
◆ 参 加 者 :60名(女性:47名、男性:13名)
◆ 所要時間:3時間35分(食事、休憩等含む)
◆ 歩行距離:4.5km
<コース>
JR橋本駅=城山登山口バス停10:50→登山口11:00→12:03鷹射場12:16→宝ヶ池12:22→12:24飯綱神社・展望台13:00→13:06根本分岐→13:11津久井城山13:23→根本分岐13:28→14:25津久井湖観光センター(解散)→津久井湖観光センター前バス停=橋本駅
<リーダー挨拶>

リーダー挨拶 コース説明及び参加リーダー等紹介

城山登山口 ヤマヒル対策の注意事項、塩の袋がポストのなかに入っていました。

<シュンラン(春蘭/別名ほくろ)>
しゅんらんの花は、春に緑色の花を咲かせ、花弁には紅紫の斑点があり、これを「ホクロ」と見立てたことが名前の由来です。しゅんらんは食用としても利用され、花茎を天婦羅や酢の物にしたり、塩漬けにして蘭茶にすることもあります。

<鷹射場(たかうちば)>
標高:約340m(城山の東峰)
津久井城(戦国時代の山城)の一部で、見張り台・物見台として使われたと考えられる。現在は 関東平野の大展望地。空気が澄むと東京スカイツリーまで見えるとされています。

ヤマヒル対策のボックスでなく、なぜか俳句・・? 誰でも自由に俳句を詠んでポストに投函できる。

<飯綱神社>
創建は鎌倉時代(1197年)と伝わり、津久井城を築いた筑井太郎次郎義胤が勧請したとされる。戦国期には津久井城主 内藤景定 が城の守護神として社殿を改築。祭神は 日本武尊 江戸時代以降も地域の鎮守として信仰され、「城山神社」と呼ばれていた。
<飯縄という名前の由来>
「飯縄(飯綱)」は長野県を中心に広まった山岳信仰(飯綱権現)に由来。
天狗を神使とする修験道系の信仰で、戦国武将にも崇敬者が多かった。
津久井城周辺にも飯縄信仰が広まり、曲輪名に採用されたと考えられる。
<飯縄曲輪とは>
津久井城の東側尾根に築かれた曲輪(郭)で、城の防衛と見張りの要所。
西側の本城曲輪・太鼓曲輪と対を成し、尾根を堀切で区切って配置されている。

<引橋とは何か>
堀切(ほりきり)に架けられた簡易橋で、敵の侵入を防ぐための仕掛け。
有事の際には橋を落として敵の進入を遮断する役割を持つ。
津久井城では、山頂近くの防御ラインとして設置されていたと考えられる。
津久井城の引橋跡では、現在も堀切の深い窪みが残っており、橋があった位置を想像できる状態です。
<築井古城記碑>

築井古城記碑は、津久井城跡の山頂部にある本城曲輪の土塁上に江戸時代後期に建てられたものです。大きさは高さ150センチメートル、幅80センチメートル、厚さ20センチメートルで、材質は根府川石の一枚岩です。
建立年月日は明らかではありませんが、碑に文化13(1816)年11月28日の撰文と記されています。
碑の建立者は根小屋村名主の島崎律直で従兄弟である国学者小山田与清を介し、題字は老中として寛政の改革を行った白川少将朝臣注1)、撰文は幕府儒官の大学頭林衡、書は国学者で幕府奥祐筆であった源弘賢 注2)、刻字は当時随一の石刻家といわれた広瀬群鶴で、当時の著名人が碑の建立にかかわっています。
碑文の内容は、津久井築城の由来や城主内藤氏の系譜などの一説が記されていますが、その根拠となる古文書等は確認されていません。
注1 松平定信のこと
注2 屋代弘賢のこと。
<リーダーコメント>
国道510線沿いの城山登山口のバス停で下車。細い沢沿いの道から男坂合流点へのロープが張られてある急な道を登り尾根をたどり、宝ケ池から飯縄神社周辺で昼食。城山山頂で休憩後、太鼓曲輪に戻り女坂経由で津久井湖観光センターまで歩きました。中嶋 要一





















