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2026.01.24【大船付近の寺めぐり】報告 中嶋 要一



大船フラワーセンターのブーゲンビリア

2026年1月24(土)  天気:晴れ レベル[1]:初心者向
◆ 担 当 L :中嶋 要一
◆ 協 力 者 :鈴木 榮男(投稿)、佐藤 清
◆ 参 加 L :松木 千恵子
◆ 参 加 者 :16名(女性:10名、男性:6名)
◆ 所要時間:4時間18分(食事、休憩等含む)
◆ 歩行距離:8km

コース
JR東海道本線大船駅10:14→10:24玉縄首塚10:28→10:39玉泉寺10:47→10:57龍宝寺11:21→11:52児童公園にて昼食12:05→12:17貞宗寺12:33→12:39円光寺12:45→久成寺→13:30大船フラワーセンター14:10→14:32大船駅

コース軌跡


リーダー挨拶(参加リーダー、協力者及びコースの説明)


大船観音
大船駅西口ペデストリアンデッキ(歩行者専用高架式歩道)より写す。


玉縄首塚
今から473年前の1526年11月12日に、南房総の武将里見義弘が鎌倉を攻め落とそうと進軍し、鶴岡八幡宮に火を放ち鎌倉内に乱入しました。このことを知った当時の玉縄城主北條氏時(早雲の孫)は、 大船甘糟と渡内福原の両軍と協力して里見の軍勢をこの戸部川辺にて迎え撃ち、合戦すること数回にして敵を打ち破り鎌倉を守りました。この合戦において甘糟氏以下35人は戦死し、福原氏は傷を負い、里見軍の死者は数がわからないほどでした。  戦闘が終わった時、城主の氏時は敵と味方の首を互いに交換し、これらを葬り塚を築いて塔を建てました。そして郷里を死守した霊を慰めると共に、怨親(敵味方)平等という考え方の例としました。 これを玉縄首塚とよんでいます。  経云我観一切普皆平等(経には、すべての人は敵味方なく皆絶対平等であると説いております)。碑文より


白梅が咲いていました。

玉泉寺
真言宗大覚寺派・聖天山歓喜院玉泉寺。開基は一歩沙弥と呼ばれた小林若狭、元和2年 (1616)に邸内に寺を作ったといわれる。山号・寺号は背後に聖天の祠があったことに由来する。本尊は不動明王。この不動明王像は胎内にもうひとつの不動明王を持つ。


玉泉寺本堂


よくばり地蔵さま
だれの願い事でも、みんなかなえてあげようと頑張っておられます。祈願成就を願うときは泥のだんごを七つづつお供えして七日祈願し、願いが成就した時は、米の粉のだんごを七つづつ七日間供えてお礼をします。ご霊験あらたかです。と書かれていました。


龍宝寺
寺の始まりは、二代目玉繩城主北条綱成(? -1569)が、城の東北(現在の栄光学園の場所)に瑞光院を建てたことです。天正三年(1575) 、四代目の城主北条氏勝が三代目氏繁を弔うために現在の場所に移し、寺の名前を、氏繁の戒名からとって、龍宝寺としました。

寺を建てた北条氏勝(1559-1611)は勇猛な武士で、天正18年(1590)の豊臣秀吉の天下統一の最終段階である小田原城攻めに会いました。

小田原城が落ちると、死を覚悟しますが、説得されて城を脱出し、玉繩城に戻り籠城します。しかし、同じ年の4月、龍宝寺の住職良達などの説得により開城することになります。その後は、徳川家康の家臣と成り、下総の一万石の藩主になったとのことです。

明治十年(1877)に、貞宗寺にあった玉繩学校が現在の玉繩幼稚園のところに移り、昭和十二年(1937)に玉繩小学校が現在の地にできるまで、教育の場となっていました。



龍宝寺本堂


旧石井家住宅敷地内にありました。


龍宝寺境内の梅


児童公園にて昼食


貞宗寺
当山は、徳川二代将軍秀忠公の祖母貞宗院様の隠居場所でした。
貞宗院様の娘のお愛の方(宝台院)が家康公に嫁ぎ、お産みになった方が後の二代将軍になられました。 その後、江戸城・大奥(総取締役)を引退され、この地にて隠居生活をされていました。1609年にお亡くなりになりますが、そのときの遺言で1611年、三回忌法要に合わせて、当山が建立されました。 以後、江戸時代はほとんど檀家を取らずに将軍様のみを弔う寺として存在しました。従って寺紋は、三つ葉葵になります。 将軍様が遷化されるごとに幕府からお位牌が届き、弔うようにとの事だったようです。
二代将軍から十四代将軍までの位牌があります。 明治以降は、幕府の庇護もなくなり、檀家を取るようになり、現在に至ります。


寺の左側に竹林がありました。


竹林で集合写真


右の建物内には、多くの草履等が置かれていました。


<圓光寺>
真言宗大覚寺派の寺院。
創建年代は不明である。ただ開山の澄範が1559年(永禄2年)に寂していること、開基の北条氏時が玉縄城の祈願所として創建していることから、戦国時代後期に創建されたものと推測される


円光寺


久成寺>山門
久成寺は、もと身延山久遠寺末寺(日蓮宗)
永正17年(1520)、足利十一代将軍義澄に仕えた梅田尾張守秀長が宅地を寄進して創建した。
徳川家康が小田原攻めの際に立ち寄って祈祷を頼み、恩賞として三石を与えたといわれ、鷹狩りの折には「葵の紋」入りの弁当箱を授けられたという。 寺には、「鎌倉郡玉縄郷ノ内三石のこと」と書かれた徳川五代将軍綱吉の朱印状が残されている。 境内には、三代将軍源実朝を暗殺した公暁を討ったとされる長尾定景一族の墓がある。 定景は長尾景虎(上杉謙信)の祖先にあたるのだという。


久成寺本堂


神奈川県立大船フラワーセンター(日比谷花壇大船フラワーセンター)


神奈川県立大船フラワーセンター案内図


エントランス広場
横浜グリーンエキスポ2027(国際園芸博覧会)の開催 2027年3月19日(金)~ 2027年9月26日(日)の看板もありました。


グリーンハウス(温室、展示室)


温室内  ブーゲンビリアコーナー

リーダーコメント
大船駅から玉縄首塚、玉泉寺 龍宝寺 貞宗寺 円光寺 久成寺 と歩き、最後に神奈川県立大船フラワーセンター(追加)に入り熱帯植物を見学して大船駅へと歩きました。寒い中参加有り難うございました。中嶋 要一

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