2025.07.06【鎌倉の紫陽花】報告 矢澤 省三
2025年7月6日(日) 天気:晴れ レベル「3」:一般向
◇担 当 L :矢澤 省三
◇協 力 者 :清水 十三男 山下 光一 岡戸 真二
◇参 加 L :中嶋 要一
◇投 稿 者 :鈴木榮男
◇参 加 者 :26名(女性:17名、男性:9名)
◇所要時間 :4時間10分(食事、休憩等含む)
◇歩行距離 :約7km
<コース>
JR北鎌倉駅10:05→10:14明月院10:34→10:44浄智寺→11:15葛原岡神社11:50→13:03高徳院(鎌倉大仏)→13:27長谷観音寺13:50→14:05成就院→14:15江ノ島電鉄極楽寺駅

明月院通りで「鎌倉紫ゆかり」の看板が目についた。
古都鎌倉にたたずむ古民家で、牛煮込み専門フレンチ「紫 -Yukari」牛頬肉のビロード煮をはじめ、鎌倉・三浦半島の新鮮な野菜たっぷり入っているとのこと。
<明月院>
山ノ内の浄智寺の向かいの谷を明月谷といいます。明月院はその地で、いまは廃寺となっている禅興寺の塔頭として成立しました。
1159(平治元)年、平治の乱で戦死した首藤(山ノ内)俊通の供養として息子の經俊が明月庵を建てたのがはじまりです。約百年後の1256(康元元)年、第5代執権北条時頼が出家のために最明寺を建立。最明寺は時頼没後に廃絶しましたが、その息子で第8代執権の時宗が最明寺跡に禅興寺を創建しました。
そして1380(康暦2・天授6)年、鎌倉公方の足利氏満から禅興寺中興の命を受けた関東管領・上杉憲方が寺院を拡大し、塔頭も建てました。この時、明月庵は明月院と改められました。
禅興寺は一時期、関東十刹の一位にまでなりましたが、明治初年に廃寺となり、筆頭の支院だった明月院だけが残りました。
境内には鎌倉最大のやぐらといわれる「明月院やぐら」があります。このやぐらは、上杉憲方の墓と伝わり、壁面に釈迦如来 、多宝如来と思われる像が浮き彫りされています。基壇上部には十六羅漢と思われる浮き彫りも施されていることから「羅漢洞」とも呼ばれています。

境内が約2500株の青色のアジサイで埋め尽くされることから「明月院ブルー」と呼ばれています。しかし、撮影ポイントの階段は見頃を過ぎていた。7月の最初の土日が終わった後に手入れ(剪定)をするとのこと。

門の扁額には、「寶所在近」とかかれている。
寶所在近(ほうしょざいきん)とは「貴方の寶は近くにありますよ」ということですが「仏を信じ、修行を積めば心の平穏が得られる」という仏の教えを意味しています。
<大仏ハイキングコース>

<こもれび広場>
葛原岡神社の近くには「こもれび広場」があり、見晴らしの良いスペースにベンチとテーブルが整備されています。

商店の店先に「ハンカチの花」が咲いていました。長谷寺から成就院に向かう

左側の石段は成就院 まっすぐ極楽寺駅に向かう。
成就院のアジサイは、参道に咲く美しいあじさいと、由比ヶ浜や材木座海岸を望む絶景がマッチすることが特徴です。剪定されていました。
<リーダーコメント>
猛暑のなかひとりも落後せず歩き通しました。ご参加の皆様のおかげです。
ありがとうございました。矢澤省三














































