2023.06.17【多摩丘陵】報告 中嶋要一 | 東京ハイキング協会

2023.06.17【多摩丘陵】報告 中嶋要一




オカトラノオ。丘陵の日当たりのよい草地に生える。地下茎をのばして増える。

2023年6月17日(土)  天気:曇り レベル2⃣:一般向弱
◇担 当  L :中嶋要一
◇協力 者 :鈴木榮男(投稿)
◇参加  L :松木千恵子
◇参 加 者:27名(女性:22名、男性:5名)
◇所要時間 :3時間55分(休憩,食事等含む)
◇歩行距離 :9.6km

コース
京王相模原線若葉台駅10:25よこやまの道東端10:52丘の広場11:00諏訪ヶ岳
11:30
防人見返り峠11:4012:25一本杉公園(昼食)13:10よこやまの道中坂公園裏
13:40
よこやまの道 Y字橋14:05小田急多摩唐木田駅14:20

コース軌跡

標高図


京王相模原線若葉台駅。


リーダー挨拶。コース説明、参加リーダー等の紹介。

スタート

 
途中の民家の塀にアジサイ

 
シロイネジバナとピンク色ネジバナが咲いていた


オカトラノオ(岡虎の尾)丘陵の日当りの良い草地に生える。


「丘の上広場」(よこやまの道)よりの展望


丘の上広場で休憩

 
若葉台駅より1.5km歩いた。


シデコブシ、別名ヒメコブシ。名の由来は、多数の花弁が垂れ下がる様が神社で見られる四手にたとえたもの。大木になっていた。

  
諏訪ヶ岳で休憩

 
多摩東公園1.4km 、鎌倉街道分岐1.8km               鎌倉街道分岐に進む


黒川はるひ野


瓜生黒川往還


階段上る。

 
尾根沿いの廃屋にアジサイ


防人見返り峠


防人見返り峠(多摩丘陵パノラマの丘)


富士山や丹沢、秩父連山の山並み、浅川沿いの七生丘陵、狭山丘陵まで眺望

 
ヤマアラシ


分倍河原古戦場と県境の尾根


並列する謎の古街道跡


大きく掘り割った古街道跡


大軍勢通った長い谷


尾根道の下の眼下に国士舘大学の野球場


一本杉公園約0.7km そろそろ腹がすいてきた。


ホタルブクロ 山で会うと和やかな気持ちにさせてくれる。しかし、ホタルブクロは、着々と勢力をのばします。 二つの繁殖システムをもっているからだ。 一つは種子による。もう一つは根をのばし, 栄養をためこんで仲間を増やす。 種子繁殖は虫が媒介をする。花壇に植えたら、1年でホタルブクロで見るも無残な花壇になってしまった。また、ホタルブクロは開花当初は、雄花でその後、雌花に変わる。


階段を上る。


坂道を下ると、妙櫻寺


恵泉女学園大学は、東京都多摩市南野2-10-1に本部を置く日本の私立大学。1929年創立、1988年大学設置。 創設者は河井道。リベラルアーツ(教養教育)主義の大学。系列校の恵泉女学園園芸短期大学は2005年に廃止された。また、恵泉女学園大学・大学院は2024年度以降の学生募集を行わないことが発表された 。


一本杉公園。ここで、昼食。


18世紀後半に建設されたと考えられている旧加藤家住宅は、入母屋造り、茅葺、平入の農家住宅。
文化史的にも価値の高い建造物です。


旧加藤家住宅から10mほどの場所にある旧有山家住宅は、多摩市指定の有形文化財。
居間や土間が見学できるほか、縁側に座って休憩もできます。

 
一本杉公園にて昼食

 


集合写真


階段を上がる


小野路道と鎌倉裏街道
ここに残る杉並木の存在から、崖上に残る古道跡=通称「鎌倉裏街道が確認されました。この道は多摩市一ノ宮にあった運河点(多摩川の渡し場)から愛宕団地の愛宕の切通し、豊ヶ丘公園を通って小野路の宿に続く中世の鎌倉裏街道の一つで、関戸にあった関所を通る煩わしさを避けた道とも考えられます。江戸時代には日野往還や小野路道ともいわれ、後に新選組となる土方歳三や沖田総司らが小野路での出稽古に日野宿方面から通った道でもありました。


古道の森

 
鎌倉道                  奥州古道(中尾道)


坂道上る。

 
中坂公園。高台


大山


丹沢方面のロケが良い


シモツケが咲いてました。。落葉広葉低木、株立ちで0.2m~1mの低木。シモツケソウは、草本です。つまり草です。葉先の尖った卵型にギザギザの縁。5~7の掌状に深裂しておりギザギザの縁です。「シモツケ(木)の葉=卵」「シモツケソウ(草)の葉=掌(手の平)」と思い出していただければ良いかと思います。

 
シモツケソウの葉                      シモツケの葉


唐木田駅まで約2km


小田急多摩線唐木田駅にて解散

リーダーコメント
今回は、多摩丘陵、よこやまの道を中心に京王相模原線若葉台駅から小田急多摩線唐木田駅まで歩きました。丹沢、大山、秩父連山の山々、浅川沿いの七生丘陵、狭山丘陵が眺望できました。

また、よこやまの道は、「赤駒(あかごま)を山野(やまの)に放(はが)し捕(と)りかにて 多摩の横山徒歩(かし)ゆか遣(や)らむ」と万葉集(巻二十・四四一七)で歌われています。
(豊島郡の上丁椋椅部荒虫が妻宇遅部黒女)作
東国から、遠い九州に防人として兵役につく夫に対して妻の心づくしの歌です。
※防人は、再び故郷の土を踏むことはできませんでした。

この、尾根筋には、鎌倉古道(鎌倉街道早ノ道、上ノ道、軍事戦略鎌倉道)奥州古道奥州廃道古代の東海道、などの重要な歴史街道(古街道)縦走、横断しその痕跡や伝説が語り継がれています。
東国~西国間の交易を行なう商人や鎌倉武士団、巡礼者、都の貴人、新選組等が往来したと推測されます。

梅雨の中休みの晴れ、ゆっくりと十分な休憩を取り、無事歩き切ることができました。
皆様、参加リーダーのおかげです。ありがとうございました。中嶋要一


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