2023.1.4【鎌倉七福神歩き】報告 大倉昌子 | 東京ハイキング協会

2023.1.4【鎌倉七福神歩き】報告 大倉昌子




浄智寺(布袋尊)
トンネル抜けると堂内には、布袋尊が安置されていた。福にあずかろうと、お腹を撫でています。・・・・
『布袋』は中国の禅宗の僧侶がモデル。

七福神について
奈良時代から四天王や、弁財天の守護信仰はあるが、江戸初期に天海僧正が家康に経典に「七難即滅、七福即生」ありと説き、狩野探幽に七福神の絵を描かせたと云われる。江戸中期以降、七福神の刷物が縁起物として人気に、「宝船図」が登場し「永き世の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り船の 音のよきかな」の回文を記した宝船絵を正月2日に枕元に寝ると、吉夢が見られると喧伝された。今のように、七福神(恵比寿、大黒天、寿老人、毘沙門天、福禄寿、弁財天、布袋尊)が定着したのは、享和年間(1801~1803)だと言われています。それまでは、三福神、五福神と神々は一定してなかったようです。


2023年1月4日(水)  天気:晴  レベル3⃣:一般向

担 当 L大倉昌子
協 力 者 :佐野妙子、池田正義
参 加 L :中嶋要一、柴崎実、山川美恵子
投 稿 者 :鈴木榮男
参 加 者 :36名(女性26名、男性10名)
所要時間 :4時間40分(休憩,食事等含む)
歩行距離 :約10km

コース
JR横須賀線『北鎌倉駅』10:15→10:25浄智寺10:44(布袋尊)→建長寺11:07→11:26鶴岡八幡宮(昼食)(弁財天)12:15→12:30宝戒寺(毘沙門天)12:36→大佛次郎宅前12:42→12:47妙隆寺(寿老人)12:54→日蓮辻説法跡12:57→13:05本覚寺(恵比寿神)13:12→13:48長谷寺(大黒天)14:27→14:36御霊神社(福禄寿)14:47→14:55江ノ電『長谷駅

コース軌跡

円覚寺側の改札に集合


※<七福神の覚え方
海老で鯛を釣るご老人…初めが抜ける『 はひふへほ 』
海老 』が恵比寿。『 』が大黒天。『 ご老人 』が寿老人。
はひふへほのくだりは、『 は 』を除いて、

』 が毘沙門天 『 』 が福禄寿。
』 が弁財天 『 』 が布袋尊。


リーダー挨拶
今日のルート等の説明と参加リーダー、協力者の紹介。

 
JR横須賀線の踏切を渡る。               『寶所在近』と掲げられた扁額の浄智寺総門

浄智寺(布袋尊)
鎌倉五山の第四位。鎌倉幕府五代北条時頼の三男・宗政が29歳の若さで、弘安4年に没した。八代執権・北条時宗が弟の菩提を弔うために開基として建てた。臨済宗・円覚寺派


さらに、石段を登ると浄智寺の中国式鐘楼門。花頭窓がある2階には梵鐘があります。


浄智寺境内図


曇華殿
仏殿、本尊は『阿弥陀(過去)、釈迦(現在)、弥勒(未来)の三体


曇華殿の室内

 
書院                             信楽焼のたぬき達


布袋尊はトンネル先の洞窟です。

 
三角ポールも地蔵さん     布袋尊


腹や頭を撫でています。布袋様は、豊かな暮らしと円満な家庭などの福を授ける守護神です。

また、この布袋様が指している指には、2説があります。
ひとつには、あなたの後ろを指しています。後ろには、既に幸せがあり、大切にしなさい。
2つ目は、私たちのお腹とか胸の心を指し示してくれています。何事も心の持ちよう、気の持ちようだと教えて下さっています。ちなみに、拝観料200円 ただし、ここだけは団体150円。他は割引なしでした。


幸福な気持ちになったところで、浄智寺を後にし、次の鶴岡八幡宮に向かう。
浄智寺からの下り。紅葉が残っていました。


建長寺 ここで、衣類調整。


鶴岡八幡宮の参拝客で混雑。


鶴岡八幡宮境内で昼食


後の建物が神主の控室になっていた。今日1月4日は、手斧始式

手斧始式
手斧始式は古来より重要な工事に先立って行われていました。当宮創建の際にも「造営事始」という名で儀式が行われたといいます。
今日は、鎌倉全体の工事始めという意味を込めて執行されています。
毎年1月4日、二ノ鳥居より神職の先導の下、鳶職の木遣り音頭とともに御神木が段葛を進みます。御神木は下拝殿前に営まれた祭場に奉安され、神職による祭儀が行われた後、鎌倉の建築業者が「検知」(儀式の責任者)他の諸役を奉仕して、中世さながらの道具と所作により儀式を行います。


神主が準備していた。

鶴岡八幡宮(旗上辨財天)

旗上辨財社由緒


旗上辨財社。こちらは・・・


旗上辨財社:源氏池の島にあります。

宝戒寺(毘沙門天)
萩寺として有名です。春はハクモクレンに桜、ムクロジ、ボケ等見応えがあります。夏はスイレンやサルスベリ、秋は粋芙蓉、萩は600本の白萩。また、枝垂れ梅は鎌倉随一と評判です。

当山は天台宗の寺院で金龍山 釈満院 円頓宝戒寺と号す。
開基は後醍醐天皇(1288~1339)開山は天台座主 五代 国師円観恵鎮慈威和上で建武(2年)年間創建された。

当寺は北条義時が小町邸を造って以来北条執権の屋敷となり、元弘3年(1333)5月22日北条九代滅亡後その霊を慰めるため、又、国宝的人材を養成修行せしめる道場として後醍醐天皇が足利尊氏公に命じこの屋敷跡に建立させた寺である。

開山の慈威和上は当山を円頓大戒(と天台密教(台密))の大法関東弘通の道場として戒壇院を置き、加賀白山の薬師寺、伊豫の等妙寺、筑紫の鎮弘寺と共に遠国四箇の戒場といわれた。
また二世普川国師惟賢和上は国家鎮護のため和合仏たる歓喜天尊像((聖天様)を造立し特殊なる修法を定めてひたすら鎮護国家を祈念したのである。天文7年(1538)七堂伽藍ことごとく焼失した。江戸時代に入って天海大僧正は宝戒寺は関東における天台律宗の本寺である故、寺の維持相続の保護を徳川家康公に懇願している(天台宗の寺院で金龍山 釈満院 円頓宝戒寺縁起より)


配置図


山門


本堂

妙隆寺(寿老人)

鎌倉時代の末期の有力御家人で、日蓮宗に帰依した千葉胤貞が自らの屋敷そばに建立した寺です。開祖は日英ですが、第二祖の日親は、「立正安国論」をもって室町幕府を批判したため、焼けた鍋を被らされたことから「鍋かむり日親」の異名を取りました。


鍋かむり日親」座像

 
団扇は難を払い、桃は長寿のしるしで、鹿も長寿の象徴です。「欅一本造りの寿老人」です。


日蓮辻説法跡


等身大の日蓮辻説法。いつのまにか、建物が出来ていました。

本覚寺

本覚寺(夷神)>日蓮宗

夷堂は、源頼朝が鎌倉幕府を開いた際に裏鬼門(南西)にあたる方向の鎮守として建てたと云われている。天台宗でした。文永11年’1274)佐渡配流からかえった日蓮は一時この夷堂に滞在し、辻説法等の拠点にした。現在の夷堂は昭和56年(1981)に再建されました。


七福神のなかで唯一の日本の神様です。正月のえびす講は『初えびす』で賑わいます。1月10日は、「本えびす」です。夷様というと鯛を持ったふくよかな笑顔の姿が多いが、本覚寺のえびすは、鯛を持たない古い形式の夷像が祀られています。全身が黒くて厳つい姿の夷様は野性的です。因みに、投稿者は5年まえに来ています。


2018年1月10日 「本えびす」です。振る舞い酒が出ました。

長谷寺>本尊:十一面観音菩薩
天平8年(736)創建と言われています。坂東33ヶ所観音霊場の四番札所、本尊、十一面観音は高さ9.8mあり、木造では日本一と言われています。

境内案内図

長谷寺(大黒天)
  
大黒天


長谷寺からの由比ガ浜海岸です。

御霊神社(福禄寿)>祭神:鎌倉権五郎景政
鎌倉近辺には、大庭、梶原、長尾、村岡、鎌倉の平氏五家があり、これら五家を祀る神社として建てられました。いつしか、後三年の役(1083~87)」に16歳で源義家に従い、出陣し活躍した鎌倉権五郎景政の一柱を祀るようになった。

御霊神社>福禄寿

名前は、幸福の「」、身分を表す「」、寿命を表す「寿」からなる。中国、道教の長寿神。招徳人望の神様。堂内に安置され、布で覆われていました。

 
福禄寿                    面掛行列


面掛行列の面が堂内に飾ってありました。

※面掛行列
鎌倉権五郎景政の命日、9月19日に昔から面掛行列が行われる。総勢10人。前の8人が同じ衣裳で、爺、鬼、異形、鳥天狗、翁、火吹男、福禄寿の面を付け、その後に黒紋付の裾模様におかめの面をつけた産婆が続きます。神奈川県の無形文化遺産に指定されています。

リーダーコメント
北鎌倉から七福神を巡って長谷まで歩きました。正月松の内の為、お詣りの人達で人出が多く賑わっていましたが、無事巡りを終えました。今年も皆様にとって良い年でありますように!大倉昌子


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