2010.11.14【大磯高麗山】報告 | 東京ハイキング協会

2010.11.14【大磯高麗山】報告



実施日:平成22年11月14日(日)晴
リーダー:佐野俊一郎
協力:青山昌次・平山亨・佐々木純子
参加者:22名(男性8名・女性14名)
グレード:一般向
JR大磯駅改札口9:30集合
コース:大磯駅→ふれあい公園→化粧坂公園→高来神社→高麗山→八表山→浅間山→高麗山→善兵衛池→旧島崎藤村邸→大磯駅前→地福寺島崎藤村の墓→大磯駅解散
東京方面から湘南へ向かう車窓から、最初に見える大磯の緑の風景は高麗山です。
江戸時代まで山全体が高麗寺の霊域として保護されてきました。
そのため多種多様な自然の宝庫となっており、県の天然記念物に指定されています。
安藤広重画の錦絵「東海道五十三次 大磯 虎ケ雨」にも、象徴的に描かれています。
大磯駅9:30
ふれあい公園ストレッチ9:45
同上
出発9:47、                                                        東海道松並木9:52
山王町花壇10;00
この花壇は旧東海道山王町松並木敷の整備活動を進める沿道住民のボランティアで、地域の活性化と景観の美化を目的として、黒松が植生していない植栽帯を“花壇”として活用する。
江戸見附史跡                                                  江戸見附説明板10:05
東海道線を潜る10:07                                     新しく植えた松並木10:10
大磯八景碑敬之の碑10:12
【化粧坂の夜雨】雨の夜は 静けかりけり 化粧坂 松の雫く 音はかりして 敬之
大磯八景は、明治40年頃、、大磯町第五代町長 宮代謙吉が大磯の名所八景を選んで絵葉書を出版したのが始まりです。その後大正12年に大磯小学校第2代校長、朝倉敬之が自作の歌を刻んだ記念碑をそれぞれ八景の位置に建てました。現在は「小陶綾の晴光」を除く「高麗寺の晩鐘」「花水橋の夕照」「唐ケ原の落雁」「化粧坂の夜雨」「鴨立沢の秋月」「照ヶ崎の帰帆」「富士の暮雪」の七基が残っています。
化粧坂一里塚案内板10:13                          化粧井戸の謂われ10:14
化粧井戸虎御前の名前あり10:15
虎女(とらじょ)とは富士の裾野の仇討ちで有名な曽我物語の中の虎御前のことである。曽我物語の語り部でもあった晩年の虎女は高麗寺の近くに住んだといわれている。
道端のそば処10:16                                        大磯の豪邸10:18
高来神社10:21
高来神社は、もとの名を「高麗神社、高麗権現社あるいは高麗三社権現と称した」(角川地名辞典)。『新編相模風土記』にも、「高麗寺山の頂にあり、又左右の峰に、白山・毘沙門を勧請して高麗三社権現と称する」とある。
現在、山頂の上宮はすたれ、山麓の下宮が中心になっているが、『筥根山(はこねやま)縁起』(鎌倉期)によると、「神功皇后が三韓を平定」したあと百済明神・新羅明神・高麗大神を招来したが、そのうち高麗大神は大磯に勧請したとあるそうだ。別当の高麗寺は、鶏足山雲上院と称したが、明治維新で高麗寺は廃寺となった(角川地名辞典)
高来神社参道
高麗山登山口10:25                                       男坂を登る10:30
男坂は厳しい                                                    休憩10:45
歴史を思わせる石段10:55
奥の祠10:58
地元では高麗寺山(こうらいじさん、こうらじやま)とも呼ばれているように江戸時代まで高麗寺という寺が山中にあり、現在の高来神社も高麗神社として寺内にあった。高麗寺は高句麗から渡来した高麗若光を祀った古い寺院と言われるが、室町時代には数度の戦火に見舞われ、廃寺寸前にまで追い込まれる。しかし江戸時代に徳川家が権現信仰のあるこの寺を上野寛永寺の末寺とし東照宮を置いたことから隆盛を取り戻した。しかし明治時代に入るとこのことが仇となり、徳川色を消し去りたい明治政府によってこの寺は廃寺とされ、廃仏毀釈で山内の堂塔は悉く破壊され高麗神社だけが残った。高麗神社は明治時代に高来神社(たかくじんじゃ)と改名し現在に至っている。高麗寺が健在の時は、山頂の大堂とその西側の西天照(現在の八俵山)東側の東天照で三権現と呼ばれ、大堂、東天照の地名は今も山中に残る。なお、江戸時代には高麗寺領は高麗寺村という独立した村となっていた。
高麗山ハイキングコース111:00                     高麗山県指定自然村
右彼岸花の植裁地11:05                             浅間社181,3m11:10
江戸時代、雲をぬいて天高くそびえる富士山を神として浅間信仰が広まりました。白い衣装をまとい、口々に「懺悔懺悔、六根清浄」と唱えながら登る。六根とは眼、耳、鼻、舌、身、意のことで、「六根清浄」が登山の精神であり、富士登山は信仰登山のあこがれでした。しかし富士登山は費用と日数がかかり、女人禁制であったため、浅間を富士山の見える高台や山頂に祭り、そこにお参りすることにより、願いが富士山に通じると、庶民の間にひろまり、厚い信仰を集めました。浅間社は、木花佐久夜昆売命を主神とし、美しい富士山を桜の花にたとえた名前と伝えられ浅間社の祀ったやまであることから、浅間山と呼ばれるようになりました。【 環境省・神奈川県】
一等三角点11:11                                           高麗山ハイキングコース11:15
高麗山ハイキングコース                                大山の展望11:20
湘南平11:25~昼食
湘南平(at 平塚市)
かつて千畳敷といわれていましたが1958年から現在の名で呼ばれ、眺望のすばらしさは県内外の知られるところとなっています。
大磯の町は、湘南平・高麗山など大磯丘陵の南東部に広がり、南は相模湾に臨む町で、江戸時代には大磯宿が置かれていた。国道1号線と湘南海岸にはさまれたところに旧東海道の松並木が残り、車の往来が激しいわりには、自然が残ったとてもいい町だ。
湘南平展望台12:00                                       箱根方面
伊勢原市                                                          平塚市
大磯市街                                                         大磯港
下山準備
岡野金次郎銘碑
日本山岳会の先駆者岡野金次郎。岡野金次郎は明治7年(1874)現在の横浜市保土ヶ谷区でうまれ生まれました。後に日本山岳会初代会長となる小島烏水とは、明治27年の徴兵検査で出会いました。明治35年(1902)岡野と小島は日本人登山家として初めて、槍ヶ岳への登頂を果たしました。その翌年岡野らは自分たちより前に槍ヶ岳に登ったウォルター、ウェストン(日本アルプスの名付け親)と出会い、日本にも山岳会をつくることを勧められます。
これが日本山岳会の設立につながりました。
昭和15年(1940)平塚に移り住んだ岡野は、昭和20年に戦災に遭い、平塚を離れますが、昭和28年には再び平塚に戻ります。そして昭和33年亡くなるまで、平塚に住み続けました。富士山が好きだった岡野は散歩に出かけては平塚海岸や八幡山から富士山を眺めていたといわれます。【平成17年(2005)3月 平塚市】
下山12:14                                                        針葉樹林の中の紅葉12:20
下る                                                                     民家の裏山の紅葉
善兵衛池の案内                                                用を終えた善兵衛池12:29
これも横穴群?                 皇帝ダリア
標高23mの標識公園内            島崎藤村邸
「破戒」「夜明け前」など多くの名作を残した文豪島崎藤村の住まい。
島崎藤村邸                    島崎藤村邸
56隣の塀の上のんびり

地蔵寺島崎藤村の墓
地福寺は真言宗のお寺で、承和四年(837)の創建と伝えられています。境内には大磯町指定文化財に指定されている「木造弘法大師座像」が在ります。毎年、8月22日には藤村を偲び「島崎藤村忌」が地福寺の境内で行われます。 藤村のお墓は梅の老木に取りまかれ、境内に静かに佇んでいます。
隠れキリシタンの石仏                                     隠れキリシタンの石仏
隠れキリシタンの石仏

この記事にコメントする


Facebookページはじめました。よろしければ『いいね』をお願いします。

東ハイホームページを登録(無料)

メールアドレスを記入して登録すれば、更新をメールで受信できます。

704人の購読者に加わりましょう

東ハイ会員web

カレンダー

2024年3月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

アーカイブ

Powered by WordPress, 12345678, WP Theme designed by WSC Project. ログイン