2017.01.25【お鷹の道】報告 保倉L | 東京ハイキング協会

2017.01.25【お鷹の道】報告 保倉L



実施日:平成29年01月25日(水)  晴れ ウォーキング①
リーダー:保倉 惠美子
サブリーダー:岩間 英之(投稿者) 金子 敬
参加リーダー:会田 政子 川嵜 英雄
参加者:36名(男性12名 女性24名)

コース:国分寺駅(南口)10時30分着→殿ヶ谷戸公園(挨拶&体操)10:50→真姿の池11:20→史跡の駅11:25→国分寺・万葉植物園11:30→仁王門11:35→薬師堂11:40→竪穴住居跡・八幡神社11:50→武蔵国分僧寺跡(昼食12:05~12:35)→七重塔跡12:50→文化財資料展示室13:05→国分尼寺跡13:25→黒鐘公園13:35→遺跡住居跡13:55→西国分寺駅前(一部参加者解散)14:05→東山道武蔵路再生展示14:20→国分寺公園14:30→国分寺駅(解散)15:00
行動時間:3時間45分  実歩時間2時間45分


10:50殿ヶ谷戸公園(挨拶&体操)

11:00 ふどうばし 国分寺の元町用水と野川が合流するところにあり、野川に架かる橋です。



お鷹の道を歩く



11:20 真姿(ますがた)の池

真姿の池(真姿の池をはじめとする崖線下の湧水群は、 上記の「お鷹の道」と合わせた環境の良さを評価され、環境庁の「全国名水百選」のひとつとしてに選ばれました。また、東京都 の名湧水57選にも入っています。嘉祥元年(848年)、絶世の美女といわれた玉造小町が病気に苦しみ、病の平癒を願い全国行脚をした際に、武蔵国分寺で願をかけたところ、「池で身を清めよ」との霊示を受けて快癒したとの言い伝えがあります。現在は弁財天が祀られています。)






「史跡の駅」は、現在全国に約1500か所ある「まちの駅」の一つです。休憩所や案内所の他に、「おたかの道湧水園」の入園受付業務、市民向け文化財図書や国分寺の名産品などの販売業務を行います。

11:28 楼門

11:30 国分寺・万葉植物園 (国分寺(こくぶんじ)は、741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院であり、国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれる)

「国分寺 万葉植物園」は、昭和25年から38年にかけて、当時の国分寺住職だった星野亮勝氏が、日本に現存する最古の和歌集である「万葉集」に詠まれている植物を収集、当時の日本文化や風習を後世に伝える事を目的に国分寺の境内に造園された。すべての万葉植物を独力で採集し、丹精して育て、植物ごとに例歌、詠み人が記された札が建てられている。8,019㎡の園内には万葉関連の植物が約160種、その他に各植物約700種が植えられており、園は国分寺市の天然記念物指定。





万葉植物園内



11:40 仁王門  (寺を守護する仁王像を左右に安置した門で,現在の薬師堂の前に建つ仁王門は,寺伝によれば,宝暦年間(1751~1764年)の建造で,使用している木材の一部は,義貞が再興した薬師堂の古材を使用していると伝えられています。8本の柱はそれを裏付けるようなほぞ穴が残り,風蝕を受けてはいますが,太く力強い姿を残しています。門内に安置されている2体の仁王像は高さ約2.5mあり,胎内の木札に享保3(1718)年造立と書かれています。)

薬師堂 建武2年(1335年)新田義貞の寄進により、武蔵国分寺史跡の金堂跡付近に建立されたと伝えられています。現在の薬師堂は宝暦年間(1751年から1764年)に今の場所に移され、建て替えられたものです。

11:50 土師(はじ)竪穴住居跡・八幡神社  「 昭和31年、日本考古学協会仏教遺跡調査特別委員会によって、初めて武蔵国分寺跡の本格的な発掘調査が行われました。この時、僧寺の金堂・講堂跡とともに薬師堂の西側でも調査が行われ、僧寺の寺域を境する北辺・西辺の両溝跡と寺域の内外に同時代の竪穴住居跡が四棟発見された。この中で、寺域内より発見された二号竪穴住居跡を史跡指定したものです。

この住居跡は、規模が4m×4.2mのほぼ方形で、煮炊きを行った竈が北壁に二ヶ所、東壁に一ヶ所設けられていた。住居内部からは完形の土器八点、完形の(せん)一点など多数の遺物が出土しています。
遺跡名称の「土師」は、当時一般的に使用されていた土器の一種類である土師器を指しており、「土師器を使用していた時代の」という意味です。

12:00  武蔵国分寺跡

36名 一列に並んでの昼食(12:05~12:35)

12:50 七重塔跡  金堂・講堂跡から東方200メ-トルのところに位置します。塔は、「金字金光明最勝王経(きんじこんこうみょうさいしょうおうきょう)」を安置する国分寺の重要な施設で した。3間(約10メートル)四方の礎石建物で、高さは約60メートルほどあったと推定されます。

13:05 文化財資料展示室 (鍛冶工房跡が見つかった市立第四中学校内から出土した瓦、土師器、須恵器、灰釉陶器等の土器、鉄製品などを展示しています。そのほか、国分尼寺跡の整備事業の紹介や住田正一古瓦コレクションの一部、中世の板碑も展示しています。 )

武蔵国の郡(足立郡と豊島郡が今よりはるかに大きかったのが判ります。)







13:25 武蔵国分尼寺跡(むさしこくぶんにじあと)
741年(天平13)に聖武天皇の命令 詔(みことのり)により、全国に建立された官立寺院の一つである武蔵国分寺の尼寺。この付近はかつては農村だったが、1960年(昭和35)頃から宅地の造成が進んだため、1965年(昭和40)から買収事業が始まり、史跡公園として整備され、2003年(平成15)に完成した。





金堂基壇(版築)断面 金堂の基礎断面



13:35 黒鐘(くろがね)公園


伝鎌倉街道を歩く

13:55 柄鏡形敷石(えかがみがたしきいし)住居跡 今から約4千年前、縄文時代中期末葉から後期初頭の頃のもの。大きさは南北約5.6m、円形の部分で直径約3.8mあり、深さは約50cmです。



史跡通り

14:05 西国分寺駅前で一部参加者解散
東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)再生展示 東山道武蔵路は上野国(現在の群馬県)から南下して武蔵国府に至る往還路(東山道の支路)です。発掘調査の結果、幅12mの道路跡が台地上から谷部にかけて490mの長さで確認されました。そこで計画が変更され、地下遺構を保存して、現在の道路が築造されました。
現在、その道路跡の約300メートルを歩道形式で保存しています。また、谷部へ下る切り通しの部分の遺構平面レプリカを野外展示しています。

昔の東山道武蔵路を歩く

14:30 国分寺公園

公園の池が半分凍っていました。

15:00 国分寺駅前(解散)

参加者の皆様お疲れ様でした。午前中は穏やかでしたが、午後から風が出て寒い山行になりました。
寒さに負けず皆さまと一緒に楽しく国分寺の歴史を見てまわれたことに感謝します。充実した一日をありがとうございました。
保倉 惠美子

 

 

 

 

 

 

 


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