2013.07.19~21 【西国札所巡りⅡ】報告 | 東京ハイキング協会

2013.07.19~21 【西国札所巡りⅡ】報告



西国札所巡りⅡ
平成25年7月19日(金)~21日(日)天気晴
リーダー:佐野俊一郎
協力L:平山亨
協力者:佐々木純子
参加者:18名 男性3名 女性15名

7月19日東京JR恵比寿駅21:00=東名高速道路足柄SA22:13=7月20日伊勢湾岸自動車道・新名神高速道路草津PA5:00=京滋バイバス宇治東=平等院7:42=第十番三室戸寺9:47=第九番南円堂11:56=第六番壺阪寺14:31=第七番岡寺16:29=観光旅館 大和屋 奈良県桜井市初瀬749-1泊
7月21日大和屋5:00→所第八番長谷寺→番外法起院9:19=室生寺11:28=天理=名阪国道亀山ハイウェイオアシス12:55=東名阪自動車道・伊勢湾岸自動車道・新東名高速道路駿河湾沼津SA16:41=海老名SA18:39=JR新宿西口19:36

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草津PAから琵琶湖6:08                草津PAの道標6:11
江戸時代のころ、草津は江戸城と京都御所を結ぶ東海道の五十二番目の宿場であり、木曽からつながる中山道との合流点でもあった。名神・東名の高速道路でつながった今も、ここ名神草津PAは宿場町を思わせるたたずまいで、むかしの草津宿の雰囲気をかもしだしている

世界遺産平等院
〒611-0021京都府宇治市宇治蓮華116
風光明媚な宇治で、藤原一族の栄華を今に伝える平等院は、宇治川の西岸にあった源重信の別荘をその夫人から藤原道長が譲り受け、その子頼通が永承7年(1052年)寺に改めたもの。鳳凰を屋上に戴く鳳凰堂(国宝)には仏師・定朝作の阿弥陀如来像が安置、52体の雲中供養菩薩像が長押の上で、雲に乗って音楽を奏している。 壁扉画、日本三名鐘の一つといわれる梵鐘とともに国宝。浄土空間を現出させたという庭園は、史跡及び名勝に指定されており、近年発掘調査に基づく整備が行われた。平成13年には、博物館として鳳翔館が開館。(平等院)

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平等院の開門を待って宇治川7:42           宇治川

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平等院表門8:19                    平等院鳳凰堂は修理中

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阿字池の睡蓮                     浄土院 源頼政の墓所
鳳翔館を拝観して8:58バスに戻る

西国札所第十番明星山三室戸寺
〒611-0013 京都府宇治市菟道滋賀谷21
約1200年前(宝亀元年)、光仁天皇の勅願により、三室戸寺の奥、岩淵より出現された千手観世音菩薩を御本尊として創建されました 開創以来、天皇・貴族の崇敬を集め、堂塔伽藍が整い、霊像の霊験を求める庶民の参詣で賑わうこととなりました。宝蔵庫には平安の昔を偲ぶ五体の重要文化財の仏像が安置されております。現在の本堂は約180年前(文化二年)に建立された重層入母屋造りの重厚な建築で、その背後には室町時代の十八神社社殿、東には鐘楼・三重塔があります。(三室戸寺)

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石段 西国十番札所三室戸寺9:47          本堂
暮れはつる 秋のかたみに しばし見ん 紅葉ちらすな 御室の山 西行
山吹や 宇治の焙炉のにほふ時 芭蕉

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蓮の寺                            三室戸寺10:15

西国札所第九番南円堂
〒630-8213奈良市登大路町48
革堂と行円上人、革堂行願寺の開祖は行円上人です。上人はさまざまに人を助け仏の道を説いてまわりました。密教行者のしるしである宝冠をかぶり、いつも革の衣をまとっていたので、いつしか「革聖(かわひじり)」と呼ばれ親しまれるようになりました。革堂行願寺は、行円上人が1994年(寛永元)年に、「一条北辺堂(いちじょうほくへんどう)」を復興して「行願寺(ぎょうがんじ)」と名づけたことにはじまります。いっさいの人々の成仏を「ねがい、行(ぎょう)じる」思いが込められています。御所の北「一条」大路にある、「革聖のお堂」というので「一条かわどう(かうどう・こうどう)」と愛称されました。(南円堂)

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西国九番札所興福寺南円堂11:56           国宝興福寺五重塔

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国宝東金堂                       中金堂(復元再建中)
昼食11:56~13:00

西国札所第六番壺阪寺
〒635-0102奈良県高市郡高取町壷阪3番地
大宝3(703)年に元興寺の弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した像を刻んでまつったのが始まりという。養老元(77)年に元正天皇により八角円堂が建てられ、南法華寺の正式寺号を賜った。礼堂に続く本堂八角円堂におわすご本尊は、十一面千手観世音菩薩。胸の前に手を合わせ、法力を湛えたお姿で、衆生救済への力強い意地を感じさせる。殊に眼病に霊験あらたかな観音様、目の観音様として、広く信仰を集めてきました。また、昭和39年より始まったインドでのハンセン病患者救済活動のご縁からご招来された、世界最大級の天竺渡来大観音石像、大涅槃石像、大釈迦如来石像等、巨大石像群が境内にシルクロードの香を漂わせる。春から初夏にかけて、やまぶき、つつじ、ラベンダーが咲き誇り、秋には境内一円のもみじや周辺の山々が色づき紅葉の風景が広がります。重要文化財の本堂礼堂、三重塔と伴に大講堂はじめ、多宝塔、灌頂堂、慈眼堂などの平成の新伽藍が広がります。(壺阪寺)

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西国六番札所壺阪寺14:31               本堂への石段

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多宝塔・本堂                       山門

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礼堂(重要文化財)                     天竺渡来大観音石像・大涅槃石像

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橿原市方面                       壺阪寺15:23

西国札所第七番岡寺
〒634-0111奈良県高市郡明日香村岡806
昔ながらの佇まいを今に残す参道を上ると鮮やかな朱色をした桜門様式の仁王門が現われる。国の重要文化財に指定されている。本堂、内陣には本尊の如意輪観音菩薩が安置されており古くから厄除け観音として信仰を集めてきた。奈良時代の作で、高さ4,6mの塑像は日本最大の土佛である。もとは彩色がしてあったというが、今はほとんどが剥落してしまいわずかに唇に朱が残っている。重文に指定されており、弘法大師がインド、中国、日本と三国の土を合わせて造ったという壮大な寺伝がある。創建は天智天皇2年(663)に義淵僧正が岡宮の跡地に寺を建立したのがはじまりと伝えられている。義淵僧正は日本の法相宗の祖といわれているが、その出生は謎である。寺伝によると子供に恵まれない夫婦が祈願した末に、家の柴垣の上に白い布にくるまれて置かれていた赤子が義淵僧正だったという。観音菩薩の授かりものと大事に育てられ、それを聞いた天智天皇が引き取り、岡の宮で養育された。後に義淵僧正は岡宮を譲り受けた。龍蓋寺の名前の由来になった伝説も残っている。大雨や強風を巻き起こし村民を苦しめていた龍をその法力をもって池に封じ込め、そこに大きな石で蓋をしたという。その時の池が本堂前にある龍蓋池である。境内には重文の書院の他、開山堂、弘法大師を安置する大師堂、三重宝塔、鐘楼堂、十三重石塔などがある。明日香村(あすかむら)は、奈良県の中央部に位置する村。中央集権律令国家の誕生の地である事から飛鳥時代の宮殿や史跡が多く発掘されている事で知られ、「日本の心の故郷」とも紹介される。(岡寺)

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西国七番札所岡寺仁王門
岡寺は奈良明日香にある石舞台の近くにある石南花お寺です

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本堂                             シャクナゲの道おくに鎮守社

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洞窟の中に観音像                    岡寺三重塔

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葛城山脈                          岡寺16:29

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初瀬長谷寺今夜の宿大和屋観光旅館        法起院はこの先
21日

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恒例朝のウォ-キング5:00              初瀬川を渡り與喜天満宮
菅原道真公のご先祖・野見宿禰は、初瀬の出雲のご出身だそうで土師の歴史はここにあり、天慶9年(946)、翁になり 初瀬の地に現れ 「私はこの良き山に神となって鎮座しよう。」と語ったのが與喜天満神社のはじまりだそうです 。與喜(よき)という神社号は、瀧蔵権現が道真公の神霊に「良き地」だとおっしゃった事からおこったとか、初瀬まつりは 奈良の春日大社の若宮おん祭りに次いで盛大な祭典として大和第二の祭りと言われ本来は九月二十(道真公の神霊が神となりこの初瀬の地に来られた日)に行われましたが、現在は太陽暦の十月となり、現在の世相により二十日に近い第三日曜日に祭礼が行われるようになったそうです。(與喜天満宮)

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與喜天満宮参詣                     長い石段を上る

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與喜天満宮拝殿                      参詣が終わり

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初瀬川の先長谷寺                    素サノ雄神社

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素サノ雄神社拝殿

西国札所第八番長谷寺
〒633-0112奈良県桜井市初瀬731-1
長谷の里は泊瀬、初瀬とも書かれた。三方を山で囲まれている。寺も山と一体になる。門前町は初瀬(はつせ)川沿いに長く延びている。そこは伊勢参りでも賑わった旧伊勢本街道。歴史も活気もある門前町である。とくに草餅の店が多い。長谷寺には国宝の「銅版法華説相図」がある。別名は千仏多宝仏塔。方形の銅版の中央に多宝塔、周囲に三尊仏、七尊物、千仏などを浮き彫りにした寺宝で、下部に長い銘文がある。それによると、道明上人が飛鳥浄御原の天皇のために成年に造立したという。これにより天武天皇の朱鳥元(686)年を創建の年としている。その後、神亀4(727)年に徳道上人が十一面観音を安置し、観音信仰の寺になった。開基はこの徳道上人。『枕草子』など平安文学に「初瀬詣で」がしばしば紹介され、清水寺や石山寺と並んで賑わった様子が描かれている。当日の建物は何度かの火災のために残っていない。仁王門を入ると長い登廊が山腹の本道へ通じている。屋根付きの回廊形式で、途中で二度折れ曲がる。長さ200m、399段。天井からは長谷型灯籠が下がって風情もひとしお。境内一円で見られるボタンの花もここから見るのが最も美しい。本堂の正堂(内陣)は間口九間、奥行き五間。その前に礼堂を設け、表は広々とした舞台造り。木造建築物としては東大寺大仏殿、吉野山蔵王堂に次ぐ規模という。慶安3(1650)年に徳川家光が再建した。堂内に安置されていた本尊十一面観音像も木造では国内最大級。金色の姿を仰いで圧倒される。天文7(1538)年の作といわれ、本堂とともに国の重要文化財。境内は広く、地形は変化に富む。そこに多くの堂舎がある。花の寺でもある。ボタンだけでなく、桜、シャクナゲ、アジサイも多い。当山は山号を豊山(ぶさん)と称え、寺号と長谷寺(はせでら)と申します。「こもりくの泊瀬山」と万葉集にうたわれていますように、この地は昔は豊初瀬(とよはつせ)泊瀬(はつせ)などと美しい名でよばれていたので、初瀬寺、泊瀬寺、豊山寺とも言われていました。
朱鳥(あかみどり)元年(686)道明上人は天武天皇のおんために銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)を西の岡に安置され、のち神亀4年(727)徳道上人は、聖武天皇の勅を奉じて、衆生のために東の岡に十一面観世音菩薩をおまつりになられました。上人は観音信仰にあつく、西国三十三箇所観音霊場巡拝の開祖となられた大徳であり、当山を三十三所の根本霊場と呼ぶいわれであります。
現在長谷寺は真言宗豊山派の総本山として、また西国三十三観音霊場第八番札所として、全国に末寺三千余ヵ寺、檀信徒はおよそ三百万人ともいわれ、四季を通じ「花の寺」として多くの人々の信仰をあつめています。(長谷寺)

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長谷寺正面朝の勤行に参列5:37

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西国八番札所長谷寺                  埼玉県からの信者と仁王門

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登廊                             登廊を掃除する修行僧(埼玉県出身)

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繋屋から蔵王堂掃除の修行僧(千葉県習志野出身)   蔵王堂下

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鐘楼下の登廊                       長谷寺の舞台

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国宝本堂                          本堂裏左に上る弘法大師御影堂

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左手に本長谷寺                     その奥五重塔

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陀羅尼堂興教大師祖師堂                鐘楼(屋上の鐘)
左に豊臣秀長公供養塔

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国宝本堂朝の勤行正面にご本尊十一面観音菩薩像が
安置されている写真撮影禁止8:22

西国札所番外法起院
〒633-0112 奈良県桜井市初瀬776
長谷の里は泊瀬、初瀬とも書かれた。三方を山で囲まれている。寺も山と一体になる。門前町は初瀬(はせ)川沿いに長く延びている。そこは伊勢参りでも賑わった旧伊勢本街道。歴史も活気もある門前町である。とくに草餅の店が多い。こんな門前町の一角に番外札所の法起院がある。寺伝によれば奈良時代の天平7年(735年)に西国三十三所を創始したと伝えられている徳道がこの地で隠棲した事に始まるとされる。徳道は晩年、境内の松の木に登り法起菩薩となって遷化したと言われる。当院の名称はそれに由来する。境内には徳道の廟と伝えられる十三重石塔がある。江戸時代前期の元禄8年(1695年)長谷寺化主の英岳僧正が寺院を再建し、長谷寺開山堂とした。(法起院)

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番外法起院9:19

室生寺
〒633-0421 奈良県宇陀市室生78
室生寺(むろうじ)は、奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派大本山の寺院。山号を宀一山(べんいちさん)と号する。開基(創立者)は賢憬(賢璟)、本尊は釈迦如来である。奈良盆地の東方、三重県境に近い室生の地にある山岳寺院である。宇陀川の支流室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹に堂塔が散在する。平安時代前期の建築や仏像を伝え、境内はシャクナゲの名所としても知られる。女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」の別名がある。なお、山号の「宀一」は「室生」の略だという。仏塔古寺十八尊第十八番。(室生寺)

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室生寺               本坊

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仁王門                            鎧坂

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国宝金堂                          国宝本堂

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五重塔               この橋から奥の院まで石段720段

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奥の院に上る           舞台づくりの奥の院

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重文右奥の院
名阪国道亀山ハイウェイオアシス12:55昼食 駿河湾沼津SA16:41
海老名A18:39 JR新宿駅西口19:36
長いバスの旅0疲れ様でした。明日香村では時間が取れず残念でした。室生寺はカメラを忘れ携帯のカメラで少し解像が悪いと思います。佐野俊一郎


これまでのコメント

  1. 佐野紀元 :

    お疲れsまでした。

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