東京ハイキング協会 » 2019.11.16【川越街道歴史旅No.2】報告 保倉惠美子

2019.11.16【川越街道歴史旅No.2】報告 保倉惠美子



2019年11月16日(土曜日)  天気:晴れ  レベル:ウオーキング②
担当リーダー:保倉惠美子(投稿者)
サブリーダー:金子 敬
協力者:猪瀬幸子
参加リーダー:会田政子 柴崎 実 関根直樹
参加者:47名(男性16名 女性31名)
コース:東武東上線東武練馬駅10時集合 歩行開始10:15→北町観音堂10:20→相原小学校跡10:50→赤塚新町公園11:40(昼食)12:15→小治兵衛窪庚申尊12:35→新田坂石造物群・八坂神社13:10→白子橋→滝坂・小島家湧水13:35→白子熊野神社・清瀧寺不動院13:40~14:00→代官屋敷跡14:20→馬頭観音14:25→JAあさか野14:40→和光市駅15:00 解散
歩程3時間 行動時間5時間

10:00 下練馬宿 本陣跡地緑地に集合
五大将軍徳川綱吉が若い頃脚気になった時、この地の大木金兵衛(本陣)に大根を作らせ食したところ脚気が治り、将軍になった綱吉は金兵衛に大根を献上させ大名に振舞ったことから練馬大根が広まりました。


北町観音堂10:15 従来の信仰と赤塚村への分岐の目印にもなっていました。
写真は北町聖観音坐像 高さ270cmで区内で最大の石仏です。天和2年(1682)銘


馬頭観音 高さ138cm 製作年は不詳ですが、やはり江戸時代のものと推測される(案内板より)

 
仁王像 左:吽形像 右:阿形像 天和3年(1683)銘
寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ金剛力士。こちらの仁王像はちょっとぽっちゃり型です。


馬捨場の馬頭観音は住宅地にひっそりと佇んていました。タワシがあるので、手入れをされているのでしょう。昔、飼っていた馬が死んだら自宅での処分は禁止されていました。馬捨場に捨てられた馬の革は太鼓や馬具に利用されていました。

 
「神馬屋(じんめや)」テレビでも紹介された和菓子屋さん。昔はお団子屋さんで、川越街道の旅人が一息いれた茶店だったそうです。


「呉服 白滝」 寛永6年創業 風格のある店構えです。 この年ペリーが浦賀にやってきました。翌年日米和親条約を結び、このときから幕末が始まりました。

 
赤塚新町公園 11:40~12:15 昼食       都内の公園の木々もすっかり色づき秋真っ只中です。


鎌倉古道モニュメント 右:はやせ(戸田方面) 左:鎌倉

12:35 小治兵衛窪庚申尊 天明3年(1783年)の浅間山噴火によって、地域でも飢餓などによる犠牲者が出たため、その供養に建てられた。坐像の庚申尊は珍しい。

かつてここに百々向川(すずむきがわ)という川が流れていて、丸太の橋がかかっていただけだった。うっそうとした所で小治兵衛という盗賊が現れ丸太の上で逃げられない旅人から金品を奪っていた。ある日、川に立派な橋がかかっている。村人が驚いて近づくと、「ここで悪いことを数え切れないほどした。それを悔いて、罪滅ぼしにこの橋をかけた。 小治兵衛」という札がかかっていた。やがてこの橋は小治兵衛橋と呼ばれ、付近は小治兵衛窪と呼ばれるようになったといわれています。


13:10 新田坂石造物群
四基の石造物で、道祖神・常夜燈・稲荷祠・丸彫り地蔵。当地に集められ、昭和59年に板橋区文化財に登録されています。

 
新田坂:魚屋、造酒屋などの店舗が並んで賑わった所で宿場ではなかったのですが、新田宿とも呼ばれていました。


八坂神社 石造物群の向かい合わせに鎮座しています。主祭神は素戔嗚尊、櫛稲田姫命 、素戔嗚尊の8人の子どもの八柱御子神です。


白子橋 渡りきった所から白子宿に入ります。写真では分かりづらいですが、橋の袂に童謡作家清水かつらの「靴が鳴る」の歌詞が書かれています。清水かつらは、昭和12年には新田坂に近い白子二丁目に住んでいました。「みどりのそよ風」は白子川がモチーフになっています。


13:35 滝坂の「小島家湧水」白子は湧水が多く湧き出ています。


13:40 白子熊野神社 昔から白子村の鎮守さまです。
朝廷は758年に新羅の僧、尼、男女合計74名を武蔵国の空いた場所に移しました。これが新羅郷の始まりです。白子の地名は新羅が訛ったものです。湧水を利用して、明治9年~23年(1876~1890)ここに日本最初の養魚場がありました。

大きな富士塚があります。

富士塚山頂の祠

清瀧寺不動院 白子熊野神社の隣にあります。乃木将軍が日露戦争旅順出陣のときにここで滝行をしました。今でも滝行ができます。

 富士山の溶岩で造った洞窟があり、不思議な雰囲気を味わえます。

※白子は伊賀衆がいたという話
本能寺の変で織田信長が明智光秀に襲われ、徳川家康は本国三河に逃げ帰るときに伊賀の服部半蔵などに守られて、三重県鈴鹿市白子町(シロコ)から本国に帰れました。将軍になった家康は、たまたま武蔵国にも 白子という地名があるのを知り、白子村の給地を与えたました。白子は伊賀者に支配され、白子から取り立てた年貢米は、伊賀者の手に渡っていたということです。

熊野神社の脇の駐車場にも湧水が湧き出ています。

 

旧佐和屋:かつて旅籠と雑貨屋を営んでいた。当時、白子宿は大変栄えていた宿場でした。旧佐和屋は風格があり、その面影がしのばれます。

旧佐和屋から大坂といわれ急坂を登ります。昔は荷車を押す「おっぺし」がいました。


14:20 代官屋敷跡 下新倉村の領主酒井氏は豪農柳下家に代々代官を任せていました。

茅葺屋根はトタンがかぶせてありますが、当時の風格が漂っています。


14:25 馬頭観音 『文化15年、近郷近在の馬持ちによって東松山・妙安寺の馬頭観音を模して造られた』説明板より。株式会社伯楽製鋲所の中にあります。事前に許可を頂いて見学しました。伯楽とは古代中国では「名馬を見分ける名人」で、それが転じて「馬の医者」の意味を持つようになったということです。


伯楽の意味と引又道について図をかいて説明をする金子サブリーダー。
引又道とは志木の引又に続く道。江戸時代に新河岸川の舟運が始まり引又は大変栄えていた。

1450 JAあさか野 新鮮な野菜を買いました。
15:00 ヨーカドー駐車場で解散

和光市駅前には清水かつら作詞の歌碑が立っています。

リーダーコメント
参加者の皆様大変お疲れ様でした。前回の下練馬宿の途中から白子宿を歩きました。天候に恵まれ、史跡めぐりには最高の山行日でした。今回も楽しく皆様とご一緒に見学できたことに感謝いたします。
保倉 惠美子

 

 

 

 

 

 

 

 


これまでのコメント

  1. 大貫孝 :

    川越街道歴史旅NO2 私は夕方に用事が重なっていましたので参加出ずに誠に残念でした。  東ハイのリーダーさんにお願いがあります。
    東京オリンピックも開催まで9ヶ月を切りました。代々木の新国立競技場も完成しましたね。私はオリンピック競技のチケットはゲットできませんでした。
    開催以前に競技場施設などを見学したいと思っています。
    そこでできることならば東ハイの街歩きコースで、新国立競技場やいろいろなオリンピック施設を見学出来る企画ができないものかと思っています。いかがでしょうか、宜しくお願い致します。

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