2019.11.09【②井の頭公園散策コース】柳田邦之報告 | 東京ハイキング協会

2019.11.09【②井の頭公園散策コース】柳田邦之報告



②井の頭公園散策コース
令和元年11月9日(土)天気晴
リーダー:柳田邦之
協力L:金子敬
協力者:石川孝子・(バザー受付)名児耶高広
ブログ:佐野俊一郎
参加者:37名 男性10名 女性27名
集合:京王井の頭線、井の頭公園駅10時出発
令和元年(第38回東ハイ祭は)井の頭公園で実施されました。
井の頭公園散策コースは歩き順路に従い掲載する
井の頭恩賜公園とは
大正6年に開園した井の頭恩賜公園は、2017年に開園100周年を迎えました。開園当時は、郊外に位置する公園とされていましたが、現在では、住宅地に隣接する貴重な緑の空間として親しまれています。園内は、井の頭池周辺、雑木林のある御殿山、運動施設のある西園、第二公園と4区域に分かれています。また、井の頭池周辺は低地、御殿山周辺は高台になっており、変化に富んだ景観が楽しめます。
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/jimusho/seibuk/inokashira/kouenannai.html
歌川広重の「名所江戸百景」などにも描かれた井の頭池は、江戸の水源として江戸時代から有名な景勝地でした。明治時代に入ると帝室御料林となりますが、東京市が「井之頭公園設置計画書」を策定し、大正2(1913)年、東京市に帝室御料地が下賜されました。そして、井之頭公園開設工事が始まり、大正6年(1917)年5月1日、日本で最初の恩賜公園、最初の郊外公園として開園しました。

京王井の頭線井の頭公園駅                     リーダー挨拶9:57

出発10:00                      紅葉の始まった公園、西に向かう

神田川起点碑10:02

水門橋を北へ                        水門橋西にひょうたん橋

ひょうたん橋を南に渡る                      井の頭池を西北に眺める

水面に映る秋景色                        西に貸ボート場10:12
狛江橋から水源方面                      井之頭恩賜公園由来の碑文

井の頭恩賜公園由来の碑文
井の頭恩賜公園は、三鷹市の北東に位置し、わが国最初の郊外公園として大正六年に開園した。
「井の頭」の称はさらにずっと古く。三代将軍徳川家光がその名付け親と伝えられている。
東西に広がる台地から神田上水が流れ出し、江戸開府の昔より明治半ばに至るまで人々のくらしをうるおし続けたのである。美しい自然をはぐくみ、ふるさと三鷹の文化を育てた井の頭の水は、現在お茶の水の井筒によってわずかにその面影を偲ぶのみだが、かってはその湧出口から清冽さと豊かさを誇ってあふれていた。
「七井池」別名が生じ、池にかけられた橋を「七井橋」というのもこれによる。
さくら・新緑・紅葉・雪と四季おりおりの風情を楽しむことができる公園は、それぞれの時代、それぞれの人の心の中にしっかりと根を下ろし、今日も青空と雑木林を映している。
七井橋から、南に鵜の日向ぼっこ               野外ステージ前トイレ休憩10:16

野外ステージ                      野外ステージ前西に七井橋

七井橋東岸を出発10:23                   七井橋側の案内版

井之頭池の北西の眺め                  北西に進む

水源近くに野口雨情の歌碑                  野口雨情の碑の説明

お茶の水湧水前の橋                    湧水10:30

湧水井戸                        湧水の奥

お茶の水
井の頭池は豊富な湧き水に恵まれ、かっては三宝寺池、善福寺池とともに「武蔵野三代湧水池」と呼ばれていました。徳川家康がこの池の湧水を関東随一の名水とほめてお茶をいれたという伝説から「お茶の水」という名がついたともいわれています。現在では湧水減少のため、地下水をポンプでくみあげています。
井戸から南東の眺め                   南に弁財天の杜

南に渡る弁天橋の西の眺め                 弁天橋から東の眺め

弁財天入り口に建つ東京史跡説明板              北に弁財天のお堂に参詣10:40

東京都指定史跡「井の頭池遺跡群」所在地 武蔵野市御殿山1・吉祥寺南町1・三鷹市小野頭3・4・井の頭恩賜公園内・指定 昭和五四年三月三一日
井の頭遺跡群は、井の頭池周辺の武蔵野市、三鷹市にまたがる大規模な遺跡群です。明治二十年(1887)には学会に紹介された著名な遺跡です。井之頭恩賜公園のうち、いけ周辺は「井の頭池(神田上水水源地)」として旧跡指定されており、外周の高台から斜面にかけての約五,五万㎡が史跡に指定されています。
昭和三七・三八年に武蔵野市編纂事業などにより発掘調査され、縄文時代中期から後期の竪穴式住居跡3軒、敷石住居跡一軒などが発見されています。遺跡周辺は宅地化が進み、史跡内は公園のため開発事業がないことから、全体像は良くわかっていません。井の頭遺跡群全体では縄文時代の住居跡六〇軒以上や旧石器時代の遺物などが発見されています、また中世段階の遺構や遺物も検出されています。武蔵野台地に見られる湧水池周辺の旧石器・縄文時代の代表的な遺跡といえます。平成二二年三月建設 東京都教育委員会
弁天堂裏を御殿山に上る、井の頭通りから、第二公園に入る
 
第二公園10:47                             奥まった玉川上水右岸に建つ松本訓導の碑


碑の全文
松本訓導殉難の碑
井之頭公園内の御殿山の玉川上水近くの雑木林の中に目立たない塚の上に記念碑ある。これが、大正時代、当時は水流が多く「人喰い川」といわれた玉川上水に落ちた生徒を助けようとして殉職した松本訓導の行為を記念して建てられた碑である。
松本訓導殉難の碑文
大正八年(1919)十一月二十日東京府麹町区(現在千代田区)永田町小学校全校児童は、井の頭公園に秋の遠足を行った。当時の井の頭公園は都心から離れた郊外で来園する人も少なかった。従ってこの遠足は文字通りの遠出で、児童達は大変期待していたものである。
到着後、喜びのあまり遊びに夢中になっていた一児童が足をすべらせて玉川上水の急流に落ちた。急を聞いた松本虎雄訓導は、わが身の危険もかえりみず上水に飛び込み児童を救おうとしたが、急流にのまれて殉職した。時に三十三才であった。
命を捧げて児童を救おうとした尊い行為は、人々に深い感銘を与えた。松本訓導の児童愛に燃えるこの勇敢な行為は、教師のかがみといえるものである。これを後世に顕彰するために、殉難のあったこの地に記念碑が建てられたのである。(東京都の案内板より)
今の、玉川上水の流れ               ほたる橋を渡り西園

西園競技場                   競技場を南に

荻島パーテーと会うトイレ休憩                 ほたる橋に戻り、玉川上水を下る

吉祥寺通り万助橋                 この付近で太宰治、入水自殺を図る

トイレを済ませ                     東ハイ祭会場へ

御殿山会場自由解散後受付            11:28

懇親風景


バザー会場


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