東京ハイキング協会 » 2018.09.17【高麗峠】報告 佐野俊一郎

2018.09.17【高麗峠】報告 佐野俊一郎



7高麗峠
平成30年9月17日(敬老の日)天気晴から曇
リーダー:佐野俊一郎
協力:佐々木純子・平山亨参加費支払
参加L:柴崎実・小林妙子・中嶋要一
参加者:31名 男性12名 女性19名
西武池袋8時5分発快急長瀞行乗車=高麗駅9時下車9:12→巾着田9:37→高麗峠10:39→天覧山11:38~12:18昼食→能仁寺12:44→飯能市民会館→観音寺13:20解散
彼岸花開花時には、入場料300円が必要
西武線高麗駅                                  駅前にトーテンポール

西武秩父線高麗駅前 天下大将軍(右)、地下大将軍(左)のトーテムポールが出迎える。
コース説明9:12                                      トイレの裏から線路側に出る9:19

299号線台信号を鹿台橋へ                              高麗駅入り口先高札場を右に

右に筆塚(勝海舟筆)を送り                               突き当り水天の碑9:20

水天の碑由緒を左に15号線に向かう                 15号線を北西に

高麗川に架かる鹿台橋9:23                      高麗本郷信号の手前を右の入る

高麗川の流れに沿って土手を下る


天皇・皇后行幸の碑                         巾着田曼殊沙華公園入り口300円の入場料

9:44~10:15自由散策


日陰は開花が遅れている                        ログトイレ解散集合・自由散策10:15


巾着田 日高市内を流れる清流、高麗川(こまがわ)の蛇行により長い年月をかけてつくられ、その形がきんちゃくの形に似ていることから、巾着田(きんちゃくだ)と呼ばれるようになる。直径約500メートル、面積約22ヘクタールの川に囲まれた平地には、春の菜の花、秋のコスモスなどの花々が咲き、今咲く、彼岸の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)群生地は辺り一面が真紅に染まり、まるで赤い絨毯(じゅうたん)を敷き詰めたようになる。
東にドレミファ橋高麗川を渡る

高麗峠に登る10:20                             曼殊沙華の喧騒から別れ


奥武蔵自然歩道を合わせて10:39                       高麗峠10:40

奥武蔵自然歩道 毛呂山町の鎌北湖からスタートし北向地蔵、物見山、日高市の高指山、日和田山、巾着田、高麗峠、飯能市天覧山を結ぶ全長約11キロメートルのハイキングコースです。
高麗峠10分休憩出発10:50

宮沢湖ほうめんの展望                          ほほえみの丘通過

天覧山への分岐11:07                       奥武蔵自然歩道尾根を下る

奥武蔵自然歩道入り口に下る                           297号線11:15

南に西武線をくぐる                              切通しツツジの壁を上る

坂上を右西武の森に入る11:21

天覧山・多峰主山分岐11:28                        天覧山入り口11:30

天覧山山頂天皇行幸記念碑11:38                   頂上下の東屋で昼食12:15まで

天覧山 飯能市の背後に盛り上がるようにそびえる山で、登山口から20分で登れることから人気の高い山。山頂には展望台が設けられ、飯能市街をはじめ、天候が良ければ奥多摩の山々や富士山なども望める。
山名はこれまで、何度か変わっており、古くは愛宕神社があったことから「愛宕山」。江戸時代の徳川綱吉将軍の時代は、十六羅漢を寄進されたことから「羅漢山」。そして明治時代に天皇陛下が登ったことから「天覧山」となった。


山頂                                 北に十六羅漢に下る12:18

岩場を下ると十六羅漢                             岩の上に立た羅漢像


十六羅漢像の由緒                      公園に下るトイレ休憩わきのモニュメント12:31

伽藍本堂毘盧舎那仏(大日如来)像を安置                  開山堂

開山堂左に横向きに座禅堂                    入り口外に不動堂

不動明王の御由緒                    山門を退寺13:07

山門・仁王像(日本彫塑会会員・鏡恒夫氏制作)中雀門  鐘楼 開山堂(当寺開山斧屋文達大和尚座像を安置)
能仁寺(飯能市)室町中期文亀元年(1501年)、飯能の武将中山家勝が名僧斧屋文達師を招いて小庵を結んだのが始まりとされており、家勝の子・家範が父の冥福を祈るために寺院を創建した。家範の子・照守は徳川家康に引き立てられ、徳川家康の庇護のもと多くの雲水をかかえる寺院に発展した。参道には葵の紋の石灯篭が建つ。

飯能戦争(戊辰戦争)と能仁寺 (飯能市)慶応4年(1868年)5月23日、飯能戦争(戊辰戦争)の舞台となる。天野八郎と合わず上野の彰義隊を離れた渋沢成一郎を首領とし、彰義隊脱退者で結成した振武隊は、青梅街道の田無(現西東京市)の総持寺を本営とする。ここで成一郎は尾高惇忠らと隊士を集める。5月15日、彰義隊と新政府軍の間で上野戦争が起こる。その前日に箱根ケ崎(現東京都西多摩郡瑞穂町)に入っていた振武隊も行動を開始し上野に向う。しかし、彰義隊敗戦の報を受け、田無に戻り、彰義隊の生き残りを吸収して1,500名に膨れ上がった振武隊は5月18日、能仁寺に入り陣営を構築する。5月23日、3,500名の官軍は早朝から攻撃を開始、わずか数時間で勝敗は決し、寺はほとんど焼失。成一郎は被弾して負傷するも惇忠に抱えられて伊香保(現群馬県渋川市)に逃れた。参謀の渋沢平九郎(尾高惇忠の弟で渋沢栄一の養子)は変装して顔振峠を越えて敗走、黒山村(現埼玉県入間郡越生町)で官軍に捕捉され負傷、平九郎は割腹して自害した。22歳。成一郎と惇忠はなおも徹底抗戦の主旨を貫き、、密かに江戸に戻り榎本武揚の艦隊に合流し、最後は箱館まで転戦する。
(Wikipediaより抜粋)

飯能中央公園(市民会館)                     会館裏から諏訪八幡神社

小さな谷の恵比寿橋から観音寺の墓地中を観音寺に入ると毘沙門天

観音寺解散

観音寺伽藍には、観音寺不動堂 本堂 四国八十八ヵ所霊場 孔雀明王 白象 鬼子母神等が建てられている。境内には句碑が建てられている

水原秋櫻子の句碑 むさしのの 空真青なる 落ち葉かな
松尾芭蕉の句碑  枯れ枝に 鴉のとまりけり 秋の暮はせを

円宝八年(1680年)三十七歳の句阿羅野(巻の四)
陰 秋のあわれ 菊作らすも 咲きにけり
俳人 鍋屋與八轍之建立


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